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あれから15年が経った。
15年で私は40歳から55歳になったわけよ。
40歳言うたらまだまだ若くてかいらしかったのよ~
でも40歳の私は今よりきっと老いぼれてたんだろうな。

美容院に行けなくて知らん間に髪が伸びていた。私は髪を伸ばしたくてなかなか伸ばせなかったんだけど、あのころの写真を見ると長い髪を後ろで一つに束ねている!そんなこと全然覚えてなかった!
その当時は美容院にも行けないというそういう自覚もなかった。

記憶は断片断片のきれぎれ。

例えば、中学校の運動会で、ガリガリに痩せた娘の体操着姿の一瞬の映像とか。

拒食症と診断されてからの2年くらい(中学2年の春から高校入学ごろ)は、まだ後から考えればあんなもんどうってことなかった。
学校へ行けないことなんか、そんなもんその後のことに比べたらへの河童みたいなもんでした。

高校に入って卒業までも相当きつかったけど、それでもそのあとのことに比べたらまだあんなもん序の口やった。

大学に入って半年でこりゃダメだなとわかって、愕然として、でも娘が「やっぱり続ける」と言ったとき、光明を見たような気がした。
発症から5年が経過して、おー光が見えた、なんて大騒ぎしたけど、あれもその後のことを考えたら、その後にもっともっと本当のしんどい地獄みたいなもんがあったわけです。

本当にしんどいことは、私がどんどん年を取っていくこと、娘もどんどん年を重ねていくこと、そして先の見通しは全然ついてないことでした。

14歳で発症したとき、20歳になったらきっと笑って振り返れるやろって思てました。

その20歳もとうに過ぎて、23歳も過ぎて25歳も過ぎて26歳、27歳・・・

おいおいどこまで続くねん・・・

まだ終わらへんのかいな、これってなんか悪い夢見てるわけではないねんよね。

一回きりの人生を娘はただただ食べて吐くことにとらわれて、その食費はときどき暗算するだけで吐き気を催すくらいの恐ろしいような数字になっている。(実際、計算してみたら、家一軒建ってました。めまいがした。)
治療費にかかるというならまだ耐えられる。ただ食べて吐いただけでン千万~
私の夢のリフォーム資金は下水に流れた~(ハハハハハハ、やけくそ)




そんな悪夢みたいな状態が、やっと止(や)まりました。

娘の過食は十分の一になりました。(まだ終わってないんかいな)
二分の一でも夢みたいなもんです。十分の一言うたらもう天にも昇りまっせ。

いつか止まります。
自然としたくなくなります。
その日まで長い目でみたげましょう。

幾人かの精神科医にそういわれてました。

あんたら気楽にそんなこと言うけど一年でいくらかかると思てはりますのん。

そいつらの話を半分信じ半分疑ってた。

ほんまに止まりましたね(ふふ)。

無理に止めても逆戻りになることもあります、とも言われた。

無理にではなく自然に止まるのを待ってたんやから逆戻りはない、という保証があるわけではないらしい。

娘も、「まだドキドキ」とか言うてますしね。

でも、止まったんです。

15年間、来る日も来る日も過食して吐くが習慣となってた、それが当たり前みたいに、そのために日にン千円もの食費がかかっていた生活がひとまず終わった。


あれから15年も経ってた。ああ、ほんまに長かった。
あんまりの長雨で足元ぬかるんだままですけどね、空を見たら、ま、ちょっとは晴れ間も見えなくもなし。
薄日の下で、娘が笑ってます。

こんな妙な人生になってしもたけど、別に全然不幸じゃなかったな。
案外おもろい目も見ましたし。

全く全然これっぽっちも自慢になりませんが、もっかいこんな人生生きてみるか、と言われたら、「おー、かまへんで」くらい言うてもええかな。半分は空意地やけど。















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タバスコ
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1956/05/26
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広範
自己紹介:
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