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「すいか」脚本家のこの人(たち)のことを私は、「すいか」以来特別な人(たち)と思ってた。

それは17歳のとき「それぞれの秋」を見て山田太一って名前の人間に特別マークをつけたみたいな感じで。

こんなに私の心を揺さぶるドラマ、を書く人に限りない敬意をささげ、敬意だけじゃなく敬慕というか敬愛というか畏怖というか、人間が人間に対して持ちえる最高の好意のあらん限りをささげたい気持ちになった。

きっと小説だって映画だって絵だって感動したものには人はその作者にそのような気持ちを持つんだろうと思いますが、どうも私はテレビドラマに対してそういう気持ちを持ちやすいみたいだ。(多分そこにはテレビドラマが他の芸術に比して世間的には軽んじられているという傾向があるからかもしれない。映画や小説の名作には私がささげなくても世の中の多くの賛辞が集まるからほっといてもええやろと思っているのかもしれない。そんなことはいつも意識してるわけじゃないけど、どうもそういう傾向は私にはあるのかも)

だから木皿泉という名前は私の中で特別マークがついていた。2003年の夏からね。

特別マークがついているからといってその人のことを特別に追究したりしないところが私の怠惰なところで、世の中には好きになるとその対象について調べつくす人がいはりますね。で結構な成果を上げる人もいる。そういうことに対しても私は「ほう、へえ」と素直な敬意を示します。でも私は怠惰だからできない。ただ心の中でこの人は特別な人だと思い続けるだけ。

だから木皿泉のことも特別だと思っている割には何にも知らなかった。
どうも木皿泉は木皿泉という個人ではなく男女のペアの共作としての作品に使っているペンネームらしいという程度のことしか知らなかった。ま、それで十分かなと、怠惰な人間はそういう理屈も持つ傾向はある。


今回木皿泉が「きさらいずみ」ではなく「きざらいずみ」であったことを知って、それだけは申し訳なく思った。好きな人の名前ぐらいは正確に知っておくべきだった。何が敬意のあらん限りをささげるだ、ちゃんちゃらおかしい、と自分を恥じた。

それ以外のこと、木皿さんの男性のほうが、「すいか」後脳卒中で倒れられていたこと、女性のほうがセクロボ執筆中にうつ病になられたことなどはまったく知らなかった。

2007年にはこのお二人が結婚されたことも知らなかった。
「すいか」当時のお二人のエッセイではただのお友達関係なのかと思わなくもなかったんだけど、恋愛関係ではあったらしい。
いや恋愛関係って言葉はふさわしくないのかもしれない。
木皿(女性)さんはほぼ私と同年齢(1957年生まれ)で短大時代に大島弓子に出会ったと特記しているからにはそのような影響を受けたってことなんだろう。そこだけでも私は震えるくらいなものを感じた。私も大島弓子にであったのは20歳を過ぎてからなのだ。なんでもっと前にこの人のことを知らなかったんだろうと思い、いや、この年齢で初めて大島弓子を知るのは幸運でもあるのかと思ったりもした。木皿(女)さんがそのように思ったかどうかはわからないけれど、似たような気持ちになられたのではないだろうかと思わずにはいられない。

女木皿は放っておくとお風呂も入らない、歯も磨かない女らしい。
結婚を報告したとき双方の親類は「こんな男(女)と結婚して相手が気の毒だ」と同様の感想を抱いたらしい。
男木皿もまた「性格に問題あり」と周囲の人間に評されるようなところがあったとか。
でも、40歳近くになってから出会い同居しだした二人はお互いに、「良くぞ出合えた!」と思える相手だったらしい。

そういう出会いが人生にはあるのかと、ここで私はものすごく感動しちゃったのだ。

あんな名作中の名作を生み出した木皿泉だけど貧乏は相変わらずで、「もう、むじんくんにも相手にされない」らしい。

それは貧乏を忌み嫌ってないからの現状なのだろうな。

貧乏はもちろん歓迎すべきものではないけれど貧乏を忌避しすぎてとんでもなくうっとうしいものを背負い込むという非を犯しがちな人間どものことを考えると、こういう選択ができる余裕を手に入れているこの人たちへのまた別の敬意が私には生まれてくる。


でも何よりも、人生の半分以上を過ぎてから出合った男女が、出会ったことで奇跡のような名作ドラマを生み出し、いまなお、一緒にいることが楽しくてたまらないという生活をしていることに、めちゃめちゃ感動してしまった。

タバスコはこういうことに感動しちゃうの。

アエラの記事なんですけどね。

ダンナが「キミのために買うてきたんやで」って言うんだけど、こういう心遣いはできる男なんだけど、悪いけどキミと暮らして一緒にいることが楽しくてたまらないとは到底思えない奥さんなのよ。
何が悪いのか、それはキミだけの責任ではないことはちゃんとわかってる。

つまり私の人生に奇跡は起こらなかったというだけのことなんだけどね。

お二人とも病気を抱えている身。
めちゃめちゃお元気な方たちではない。
それでも十分に健康に留意されながら一本でも多くの名作ドラマを残していただきたいと切に切に願うものです。

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秋なった うんどう会が ちかくなる


今朝、ネットの中で発見した名句(?)

おともだちのお嬢さん(小学3年)が国語の授業で初めて触れた俳句にすっかりはまっているそうで、日常のあらゆることを俳句にしているらしい。


秋なった はきっと、秋になったって言いたいところだけど「五七五」のリズムをなんとしても守ろうとして、「秋なった」と。
いやしかし、美潮よ、これがなかなかいいではないか。(あ、ちなみに友人のお嬢さんの名前が美潮、よそんちの子なのに呼び捨て)

秋なった。

春は来るものだけど、秋はなるものなのかぁ~
うん、そうかも。

昼間の暑さはまだまだ厳しいんだけど、日が翳ったあとに吹く風が昨日と違う。
空の色も昨日と違う、ような気もする。
そんな夕暮れの空にぽっかりと秋がなってる。

我が家の近所の小学校も運動会近し。
連日鼓笛隊の練習の音がもれ聞こえてくる。


2010年、特別に暑かった夏もそろそろ行きますねぇ。


先日、youtubeを見ていたら古いドラマを発見しまして、これはもうびっくり。

長年探し続けて見つけられなかった、タバスコの、「もう一度見たいドラマナンバーワン」に思い定められていたものでございました。

「たとえば 愛」(作 倉本聰)
1979年放送。

このドラマの中にこんなエピソードがありました。

世の中から忘れられそうになっている一人の老作家がいて、後輩の作家が孫の名づけをその老作家に頼む。老作家を哀れむような気持ちもあり、すこし力づけたいという驕った気持ちもその後輩の作家の中にはあった。

後日、名前を見せられて、後輩の作家は自分を恥じる。

「いつか」と書かれていた。

「いつか花開く、いつか実がなる、いつか夢がかなう・・・」

一編の小説のような名前だと後輩の作家は思う。
自分がおざなりな気持ちで依頼した孫の名づけに老作家はなんと真摯に応えてくれたのだろうかと、自分の不遜を深く恥じるわけです。

この、「いつか」という名前に関しては、姪のみかちゃんへの思いに絡んでくるエピソードもあるんだけれど、それはいつだったかに書いた覚えがありますのでここでは割愛。

で、今回このドラマを見る機会を得て驚いたのは、老作家と私の記憶に残っている作家の年齢が実は50代だったこと。

え?50代で老作家?

31年前、50代後半はもう老人だったんでしょうかね。

そんな瑣末なことに驚いて、まだじっくりドラマ自体を楽しめてはいないんだけど、ドラマファン師匠のI氏にこのドラマをご紹介したら、「こ、これは!倉本聰の最高傑作じゃないか」というご感想をいただきました。(I氏はこのドラマをご存じなかったようで)

いや、そこまで褒められると照れちゃうなぁ(誰もあんたを褒めてないっちゅうにゃ)。


2010年、特別に暑かった今年の夏、タバスコにも、日焼けのシミだけじゃないさまざまな痕跡を残し、キミはそろそろ行くのだね。


1月のことだったか、CSの時代劇専門チャンネルで「NHK大河ドラマアーカイブス」というプログラムがあり、そこで「竜馬がゆく」を見たのでした。
1968年放送。
めっぽうおもしろくて度肝を抜かれました。惜しいことに、天下のNHKにも、VTRはたったの一本しか現存していないらしい。その貴重な一本、第16回「脱藩」の回を放送していたわけです。

今ごろになって司馬遼太郎原作の「竜馬がゆく」を読み出したりしております。
脚本家の水木洋子さんのことも調べて「へえええ~」となったりしておりました。

私は本を読むのが非常に遅いので、原作の方では竜馬は今やっと脱藩しようかどうしようかとしているところです。

ドラマ第16回では、脱藩する竜馬を取り巻く周囲の人たちの緊張が主に描かれています。

嫁に行っている乙女姉さんに相談に行く竜馬。
男やったら自分の信じた道を行け、と励ます姉さん。
けれど姉の婚家に迷惑が及ぶことだけは竜馬も気に病む。(実家に累が及ぶことについては「こらえてもらうしかない」と言い放っているが)
乙女姉さんは、「かまわぬ」という。夫へ離縁を願い出ることを決心しているのだ。
「それはいかん」と竜馬がいうと、「あんなばぶれもんの亭主にはほとほと愛想が尽きている(だからからかまわん)」と姉さんは言う。
大笑いしたあとでその笑いがいつしか泣き顔になる。

このドラマ、文句のつけようがないデキでどのシーンも気が抜けないおもしろさなんだけど、ここだけちょっと気に入らなかったのだ。
ここで、乙女姉さんは泣かないほうがいいのになぁってタバスコは思ったのだ。

で、原作ではもう少しカラッと描かれている。
ばぶれもん(好色で女に手を出す男を土佐ではこういうらしい)のご亭主とケンカして投げ飛ばしたりしている乙女ねえやん。竜馬もそういう二人を笑ってみていたりする。
妾を持つのは男の甲斐性などという価値の時代背景もあるでしょう。そういう時代の中にあって乙女という女は性的なだらしなさにやや潔癖なところがあるという描かれ方ではありますが、弟に亭主の行状を話した後で泣くのは乙女ねえさんらしくないなぁって思ったのね。

で、脚本の水木洋子という人。
この人は映画監督谷口千吉の最初の妻です。
谷口千吉という名前は、私などは八千草薫の夫という記憶の残し方しかできないんだけれど、まずまず有名な映画監督さんだったんでしょう。
水木洋子と八千草薫の間にもう一人女優さんと結婚されてます。

水木洋子という女性は、そういう経験をしているのかと考えると、この乙女がこういう描かれ方をするのも、ああ、なるほどなぁとやや納得してしまったりしたわけです。

演じる水谷良重には原作の乙女よりちょっと陰があるんですよね。

それでも弟が乱世に打って出ていこうとその決心を自分に伝えにきたときの、乙女の「ああ、こんな世の中でおなごであることがくやしい」と
もどかしげに身を震わしながらも、維新の風が今巻き起ころうとする時代の激動に目を輝かせて昂奮する様は素晴らしい熱演でございます。

これもまた、戦時中左翼思想活動もしたという水木洋子の筆を通した乙女像ということなのかもしれません。



あれこれより道わき道に入りながら読むのでほんまになかなか先へ進まないんだけど、タバスコは今竜馬とともに維新の風の中に生きているのでございます・・・

mixiの山田太一コミュで知り合ったご婦人がいらっしゃって、おもしろくてメールをやり取りしていました。

山田太一も好きだけどクドカンも好き。ついでにエレカシも好きで、まあ、ずいぶんと好みが似てますね、って話が弾んでいました。

4月にクドカンの芝居を見るのに東京へ行ったんだけど、直前にこのご婦人から「あなたが東京にいらっしゃるときに山田さんのイベントがありますよ。もうご存知かもしれないけど」ってお知らせいただいて、そんなこと知らなかったので調べたら、山田さんがお好きな浜口陽三さんの生誕100年記念展がらみで講演をされるらしい。定員50名の小さな集まり。慌てて申し込みました。山田ファンの師匠Aさんもご一緒に。

で、会場で先生にお目にかかれ、Aさんとお茶でもってところに私もお邪魔させていただき、貴重なお話をたっぷり聞かせていただくという幸運にありつけてしまったわけ。
このご婦人のおかげおかげ。

その時、「私はその日八戸に行っているので、そのイベントには行かれないのよ。残念。でも私の分も楽しんでいらっしゃって」なんて命を受けておりました。


そのご婦人から先週末「明日高松に参ります。お会いする時間はないけど、あなたはどこら辺りにお住まいなの?」というメールをいただき、高松の翌日には松山に向かわれるというので、「通り道ですよ」ってお伝えしたら、「一時間でもお会いしましょう。途中下車しますから」とのこと。

それが今週の月曜日のことでした。

最寄のJRの駅まで私のきちゃないekワゴン(ノルウェイの森色)でお迎えに参上しました。

初対面はドキドキします。

改札をでていらっしゃったご婦人はですね。74歳ってお聞きしていたよりは数段お若く見える方でした。
でも、でも74歳なんですよ!

74歳でクドカン大好き!っておっしゃってて、そして、そして驚くなかれ、四国への旅の目的というのは、陽水の全国ツアーの追っかけ途上なんですって(追っかけなんて言わないで。リピーターって言うのよ、って教えていただきました。リピーターって言うらしいですよ、昨今の追っかけは。)


陽水の話なんて初めて聞いたぁ!

八戸にも陽水を追っかけて行ってらっしゃったんですって!!

お昼時なのでさぬきうどんを食べさせるお店に入って、席に着くと「早く早く山田さんとお会いになったこと聞かせて、聞かせて」。

「喫茶店では山田さんは何を召し上がったの?」なんて好奇心いっぱいの表情で話をせがまれてしまいました。
すごくチャーミングな人。

私がその日先生にご署名をいただいたご本の、先生のご署名を見て、「これ、写真撮っていい?」
先生と撮った写真を眺めて「ステキステキ!」

初対面なのに話が途切れる暇もなく会話が弾んで弾んで、結局予定の電車を1本やり過ごしてしまわれました。



すごい!

いや、私も年の割にはなかなか頑張ってる方かななんて思ってましたけどね、まだまだヒヨっ子でございました。

74歳。
タバスコあと21年ございます。
付いていかせていただきます!

師匠と呼ばせてください。


もー、まいっっちゃったよー。

世の中にはステキな人がいるもんだ。
ダンナが、「この話、ブログに書いてもええで」と言うので、めでたくダンナの許可のもと書きます。

ダンナは妻のブログにおいて、この100倍ほどの自分のプライバシーが侵害されていることを知らない。今日も平和な顔をして出かけていった。


この話、というのは、夕べG田工務店の専務のおごりでふぐ料理をご馳走になったという話である。

貧乏なダンナは今期初めてのフグであったらしい。
(思えば20年近く前の我が家のバブリー期には、フグの白子がヒカリの好物であった、という時代もあったなぁ)
今朝、「やっぱりフグはおいしいかったわー」とまだ余韻に浸って幸せそうであった。貧乏は、ある意味そのような幸福ももたらすものである。

そのG田工務店の話をしたい。

「ありふれた奇跡」で現在翔太がセメント左官の仕事を黙々とこなしているその現場こそG田工務店の現場なのである。

それを発見したのはダンナであった。

「あの現場で背景にいる作業員のヘルメットにG田工務店のロゴが入ってる!」と第2回放送の冒頭シーンで発見し、翌日にG田工務店の専務に電話をしたダンナ。
ダンナが専務に気軽に電話ができるという程度の、G田工務店というのはその程度の企業規模であるわけ(うちはそこの出入りの印刷業者に過ぎない)。
専務はそのことをご存じなかったらしい。ダンナの電話に「へええ」という反応だったとか。それを聞いた私は、「山田さんのドラマってことの重さを分かってないなぁ」と思ったのであるがそれが世間というものかもしれない。
夕べのフグはそのご褒美というわけではなく、ただ、仲間内の飲み会程度(出入り業者に過ぎないくせに、大きな顔をして仲間に入り込むのは、ダンナのキャラクターの勝利でもあるかもしれないが)。
その宴席で、「『ありふれた奇跡』に登場するG田工務店の現場」ネタでは多少は盛り上ったらしい。しかし、その場に居合わせた6名ほどのおっさんたちの誰一人としてこのドラマを見ていなかったらしい。
ま、ダンナの仲間のレベルとはそのようなものであろう。世間もそんなものだ。しかし、専務から、「来週からは見るように」とのお達しが下ったそうである。今後もG田工務店現場が撮影にずっと使われるらしいです。

目を皿のようにしておくと、現場のシーンに「G田工務店」の文字見えますから、皆さんも見ておいてね。(見たからと言ってフグはご馳走できないけどね)。

ちなみに、撮影協力の謝礼は30,000円也。
東京支店の現場監督以下社員数名で焼き鳥屋で散財しておしまいだったらしい。

プロフィール
HN:
タバスコ
年齢:
67
性別:
女性
誕生日:
1956/05/26
職業:
兼業主婦
趣味:
広範
自己紹介:
おもろいおばはん
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