だけど人間は甘い
週末の法事に向けての掃除や準備に追われながら、分館業務の仕事にも追われ(22日に運営委員会実施に付きその資料作成、及び案内状作成、送付など)それでも結局禁ミク厳守できずに仕事は一日延ばしで気持ちだけが追い詰められていく…という日々を送るタバスコでございます。
今も、公民館分館新年度の名簿及び住所録を作成している最中です。
ええい、休憩しよか、てなもんです。
でも、いざ休憩してみるとやっぱり気にかかる。
まだやるべきことがたくさんあるのだ。
それは山のようにある(ように思えている)。
山の頂上が見えないから、登るのがいやになっちゃうのだ。
休憩を取るときの言い訳はこうだ。
頂上が見えないから山のようだと思い込んでるけど、一旦やりだしたらきっとあっという間に片付いちゃうんだよな、私って、やるときゃやるタイプだしー。ま、ちょっくら休憩取るのもやる気を出すエネルギーにもなるしな。
そうそう、このような思考の結果、禁ミクも守れずに休憩ばかりの日々を送ってしまっているってわけだ。
ところで、先日間接的になんだけど「子供が勉強しない。どうしたら良いか」という相談を受けた。
間接的に、というのはダンナがそういう相談を受けて、「うちの奥さんの方がそういう相談には的確に答えると思うよ」ってその相談者に話した、というのだ。もし、彼からそのような相談をされたら乗ってやって、と言われている。
中学一年生の男の子。
入学直後に行われる新入生学力審査テストの成績が芳しくなかったらしい。奥さんがややパニック気味で騒ぎ立てている。父親として少し意見をしてみたところこの長男が、「何故勉強しなきゃならないのかがわからん!」と反抗的な態度を示した。
「何故勉強しなければならないのか」と子どもに問われたらどう答えたら良いものだろうか、というのがそのお父さんの相談の主旨らしい。
で、ダンナは「将来の自分の選択肢を広げるために勉強が必要なんだ」というような話をその父親にしたらしいが、そんなことは分かりきってる話やわなー、と自分でも芳しい答でなかったことはわかっているようだ。
13歳の子供が、「何故勉強しなきゃならにのかわからん」と聞いてきたら、勉強の必要を言い聞かせても意味はない。全く意味はないと思う。
勉強する意味を問うているのではないからだ。
中学生はみんないい成績をとりたいと思っている。
13歳くらいの子は全員と言っていいくらいみんな勉強ができたいのだ(変な日本語だけど彼らの望みは「勉強できたい」である、と言っても過言ではないのだァ。)
理屈じゃなくね。勉強好きであろうとなかろうと、目覚しい成績を上げたい気持ちに満ち溢れているのである。
自覚的に、例えば将来の選択肢を広げるために、などという意志を持っている子もまれにはいるかもしれないが、13歳の子にはそんな理屈がなくても彼らは勉強できたいと思っているわけだ。
でも、結果がでない。自分もがっかりするけど両親のがっかりにも気持ちが萎える。この親から「勉強しろ」っていわれたら窮鼠が猫を噛んじゃいたい気持ちになっちゃうのだ。
ときあたかも13才といえば反抗期である。窮鼠が反抗してるんだから理屈にかなったことを言うわけがない。
自分でもわけのわからんことを喚いてしまうのだ。
だから、少なくともこういう喚きに正面切った答を返してはダメダメ。
ダメということくらいしか私にはわかりませんけどね。
ダメなことはしちゃいけないんです、少なくとも。
勉強できたいと思いつつ結果がでない13才君は、まるで今の私のようだ。
頂上が見えない山を登れ登れ、休まず登れって言われてるみたい。
私は、ときどき怠けて、「禁ミク!」って掛け声だけでダダダダっと怠け続けてしまう日もあり…でなんとか登り続けなきゃならない山を放棄しないで、たまにはこうして自らを叱咤激励して登ったりしてるけど、13歳君にはそういう自由も余裕もなかったりするのかもしれない。
なんで、こんな山のぼらなあかんねん!って言いたくなるだろうサ。
ってことで、相談されたらなんて答えるんだろう、私。
とりあえず自分の山登りで精一杯なクライマー・タバスコであらしゃいます。
今も、公民館分館新年度の名簿及び住所録を作成している最中です。
ええい、休憩しよか、てなもんです。
でも、いざ休憩してみるとやっぱり気にかかる。
まだやるべきことがたくさんあるのだ。
それは山のようにある(ように思えている)。
山の頂上が見えないから、登るのがいやになっちゃうのだ。
休憩を取るときの言い訳はこうだ。
頂上が見えないから山のようだと思い込んでるけど、一旦やりだしたらきっとあっという間に片付いちゃうんだよな、私って、やるときゃやるタイプだしー。ま、ちょっくら休憩取るのもやる気を出すエネルギーにもなるしな。
そうそう、このような思考の結果、禁ミクも守れずに休憩ばかりの日々を送ってしまっているってわけだ。
ところで、先日間接的になんだけど「子供が勉強しない。どうしたら良いか」という相談を受けた。
間接的に、というのはダンナがそういう相談を受けて、「うちの奥さんの方がそういう相談には的確に答えると思うよ」ってその相談者に話した、というのだ。もし、彼からそのような相談をされたら乗ってやって、と言われている。
中学一年生の男の子。
入学直後に行われる新入生学力審査テストの成績が芳しくなかったらしい。奥さんがややパニック気味で騒ぎ立てている。父親として少し意見をしてみたところこの長男が、「何故勉強しなきゃならないのかがわからん!」と反抗的な態度を示した。
「何故勉強しなければならないのか」と子どもに問われたらどう答えたら良いものだろうか、というのがそのお父さんの相談の主旨らしい。
で、ダンナは「将来の自分の選択肢を広げるために勉強が必要なんだ」というような話をその父親にしたらしいが、そんなことは分かりきってる話やわなー、と自分でも芳しい答でなかったことはわかっているようだ。
13歳の子供が、「何故勉強しなきゃならにのかわからん」と聞いてきたら、勉強の必要を言い聞かせても意味はない。全く意味はないと思う。
勉強する意味を問うているのではないからだ。
中学生はみんないい成績をとりたいと思っている。
13歳くらいの子は全員と言っていいくらいみんな勉強ができたいのだ(変な日本語だけど彼らの望みは「勉強できたい」である、と言っても過言ではないのだァ。)
理屈じゃなくね。勉強好きであろうとなかろうと、目覚しい成績を上げたい気持ちに満ち溢れているのである。
自覚的に、例えば将来の選択肢を広げるために、などという意志を持っている子もまれにはいるかもしれないが、13歳の子にはそんな理屈がなくても彼らは勉強できたいと思っているわけだ。
でも、結果がでない。自分もがっかりするけど両親のがっかりにも気持ちが萎える。この親から「勉強しろ」っていわれたら窮鼠が猫を噛んじゃいたい気持ちになっちゃうのだ。
ときあたかも13才といえば反抗期である。窮鼠が反抗してるんだから理屈にかなったことを言うわけがない。
自分でもわけのわからんことを喚いてしまうのだ。
だから、少なくともこういう喚きに正面切った答を返してはダメダメ。
ダメということくらいしか私にはわかりませんけどね。
ダメなことはしちゃいけないんです、少なくとも。
勉強できたいと思いつつ結果がでない13才君は、まるで今の私のようだ。
頂上が見えない山を登れ登れ、休まず登れって言われてるみたい。
私は、ときどき怠けて、「禁ミク!」って掛け声だけでダダダダっと怠け続けてしまう日もあり…でなんとか登り続けなきゃならない山を放棄しないで、たまにはこうして自らを叱咤激励して登ったりしてるけど、13歳君にはそういう自由も余裕もなかったりするのかもしれない。
なんで、こんな山のぼらなあかんねん!って言いたくなるだろうサ。
ってことで、相談されたらなんて答えるんだろう、私。
とりあえず自分の山登りで精一杯なクライマー・タバスコであらしゃいます。
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