リフォームするぞ!、ふんがっ!(ちなみに、これは鼻息の擬音)
築23年になっております我が家。リフォームどきです。
しかし、年金も恩給も退職金も親の財産も当てにできない我が家、しかも金食い虫の娘にリフォーム資金の大半を下水に流されたしっ!
だから、できるのはタバスコのへそくり範囲内なのだ!
長年、計画だけはいっぱいいっぱい立ててきた。
そんじょそこらの計画ちゃうよ!
インテリアコーディネーターの知識とセンスを駆使しまくったリフォーム案、A案から数えたらアルファベットを2巡するくらい立てたがな。
そして、今リフォーム計画を現実化するに当たって、黄金の練りに練ったリフォーム案から、予算内で実現化できる範囲を絞り込み、つまりはあれもこれもあれもこれも諦めなきゃならんってことなんだけど、夢と現実のはざまを右往左往する日々。
夢と言ってしまうとちょっと大げさかもしれんけど、資格だけ取って結局実生活では何の役にも立てることができなかったインテリアコーディネーターの知識を、ステキな住居改装の具現化に役立てる!今こそ一世一代の、千載一遇の、人生最後の、これっきりこれっきりの大チャンス到来なわけよ。鼻息も荒くなるってもんよ、ふんがっ。
キッチン、お風呂、トイレという水回り御三家はやっぱりこの際リフォームしたい。
主婦の気持ちとしてはキッチンをさ、大改装したいよね。
23年前は主流だった対面式キッチン、今や流行遅れなんですよね。
今は何と言ってもアイランド型なんですよねっ。
アイランド型、思えば10数年前、第一次タバスコ家リフォーム計画ブームのときからタバスコは、「これだな!」と目をつけていたのだ。
でもその後我が家を襲った諸事情によりその計画は雲散霧消していた。
それどころちゃうやろという幾星霜が流れた。
タバスコがそれどころちゃうやろ的幾星霜をいたずらに加齢に捧げていた間に、リフォーム啓蒙雑誌においては今や憧れのアイランドキッチンはスタンダード仕様になっとるがな。
なんや、猫も杓子もそれかいな、みたいな。
ちょっと熱が冷めた。
案外独立型にした方がええかもしれんな、などと発想が大回転している今日この頃。
いっそ、キッチンゾーンとお風呂ゾーンをすっぽり入れ替えるなんてのもおもろいかもとか、予算を忘れてあれこれ夢見る楽しさ。
あああああ、たのちい。
だから、もうちょっとこのままでいるかも。
夢見てる時間、長い方がええもんね。
なんかいじらしくて涙を誘う話ちゃう?
トッポが参加してないから復活という言葉を使うのを避けているらしいけど、実質復活コンサートだったなぁ。
タイガースが40年ぶりに蘇ったよ、タバスコの目の前で。
多少古びてたけど。
ジュリーは中年太りを通り越して初老肥満体になってるし(あんたなぁ、ちょっとは痩せよとおもわんけ、と糸子ならしばきたおすとこや)。
サリーはベースギター30年ぶりに触ったというし(ま、名優岸部一徳やさかいなぁ、しゃあないか)
タローも太って、しかもギターテクニック、全然向上してないことない?40年前から。
かつての熱狂的タイガースファンだったタバスコは身内のような気持ちで、ステージ上の古びたザ・タイガースをハラハラ見ている自分に気づいて、それもまた胸を熱くするのであった。
そしてピー、おちゃめにステージ上を駆け回る。
ジュリー曰く「40年前と体型が変わらないのはピーだけ~」
ピーだ、ピーだ、大好きだったピーが65歳でステージ上を駆け回ってる。ちょっと息がきつそうやけど。
ピ~~~~~~!
タバスコは叫ぶ。
叫ぶタバスコの声が哀愁を帯びている。
自分の発した嬌声が哀愁を帯びているのを聞き取って胸がきゅうんとなったよ。
その声はおばはんの声だった。
40年前は処女の声だったのになぁ。
周りのおばはんたちもその多くがあの当時は処女だったことだろう。
アイドルに熱狂し、ジュリーに、ピーに恋い焦がれ、キスも知らずにいた少女たちだった私たちは、40年経ってすっかりおばはんになりました。
ジュリーも古びてきちゃなくなったけど、わてらも古びましたなぁ。
熱狂したアイドルがいるそんな青春を過ごした少女たちがいて、ほんで、40年も経って、40年の齢を重ねたアイドルたちがまた姿を見せてくれた、そして、そして、なんて楽しそうに彼らは演奏してるんだろう。古びたファンの前で。
そんなことがしみじみとほのぼのとうれしいのでした。
昨日の昼下がりの地元のラジオ番組にピーが出ていたんです。
ダンナが事務所から駆けてきて「ピーが出てるで」って興奮して教えてくれました。出かける準備でバタバタしてる最中に、描きかけの眉半分でそのラジオに聞き入りました。
ピーはこう言いました。「すごく楽しいですね、今」って。
ステージで演奏することがすごく楽しいって言うてくれて、私はそれだけでほんとうにうれしかったなぁ。
うれしくて、懐かしく、少し切なくなった。
時間は容赦なく過ぎていき、私たちの人生はもう最盛期を過ぎた。
青春という時代もあったけどそれもすっかり昔のことになった。
古びたアイドルと古びたファンの再会は、それでも大半はうれしいうれしいうれしいという気分で染まりました。
みんな、ちゃんと生きてきたんやなぁ。
よかったなぁ。
ありがとう。
本日タバスコは家族から「主婦の休日」を勝ち取りました!
自分以外の誰かのためのことは一切しない一日でございます。
食事の用意、洗濯、掃除・・・
家事をするしないの問題ではない。したくないといっているのではない。
家族のことを考えないでいられる一日が欲しいってわけなんです。
だから、できればダンナにも家にいて欲しくないんだけど、行く当てのないご様子で遠慮がちに私の視界を汚している。ちょっとかわいそう。
電脳主婦仲間で企画実行した「朗読会」は大成功のうちに終えることができ、その余韻でしばらく主婦の無聊も慰められ、ああ、良かったね、楽しかったね、感動したね、の挨拶の交換も次第にまばらになってまいりました。
発案から計画、打ち合わせ、前日リハから当日へ。そして当日のてんやわんや、本編、打ち上げ、反省へ。
この一連の展開を実録小説風に書いてみせましょう、などと、直後のテンションの高さの中で大見得を切ってしまったタバスコでございました。
今日あたり書き始めてみるにふさわしい佳きお日柄でございますね。
私のmixi歴は結構長くてもう6年。
ドラマファンサイトの若いお友達に勧められて分け入った。
大変居心地がよく、私のネットライフの中心がいまやmixiに移行してしまっている。
最初の半年くらいは日に2,3人の足跡があるくらいだったのが、あることをきっかけに大量の足跡がつくようになった(mixiでは訪問者の名前が表示される)。
それは、貴乃花がお兄ちゃんの若乃花といさかいを起こしたとき、それについての私の感想を述べた日記がきっかけだった。どんな日記だったかは割愛するけど、それをある人がおもしろいと紹介してくれて、その人の友人たちが大挙して訪れてくれた。
そのときの訪問者の中にmさんという人がいた(神戸在住の「神戸のマダム」だからmさんと呼ぶ)。
mさんはそれをきっかけに私のHPやらmixiの過去日記やらを読破して「とてもおもしろい」と褒めて下さった。この人も友人の多い人だったのでまた訪問者が増えた。
そういう人たちの中から気の合う人が残り、あるいはまた別ルートからも仲良くなった人もいて、こんな田舎に幽閉されたように暮らす私だけれど気の合う、話しの合う、つまりある程度価値観の共有できる友人たちを日本中にもつことができた。
何度かお会いする機会もあり、53歳の片隅に生きる非活動的なおばさんとしてはなかなかしゃれた交流世界を築くことができたと思っている。
さて、そのmixiのお仲間の中にKさんという人がいて、年齢は私より5つ6つ下の、バツ一で高校生のお嬢さんを持つ女性。
彼女は今大変な苦境にいる。
勤めていた会社が倒産、無職になり、しかも腰痛もち。
お嬢さんが少し心を病んでおられる。高校生と言ったが、既に退学されてしまった。
極度の神経症で外出がままならないのだ。
ときどき、「死にたい」と弱音を漏らされることもあった。
Kさんは読書家でたくさんの本を読み、その感想をmixiの日記に綴られている。
その感想が人をひきつける。感想の域を超えて立派な書評になっている。
映画、舞台もたくさんご覧になり、その都度映画評、演劇評も書かれる。それもまたありきたりなものではないものを書かれる。
この人は、若い頃女優をされていた。舞台を中心に、「女優ではなく役者と呼んで」とご本人はおっしゃる。
今はすっかり舞台から遠ざかってしまわれた。生活に追われていつしか好きな舞台から遠ざからざるを得なくなられたのだろう。
苦境の中にあるKさんがあるときmixiの日記で「いつか一人芝居をしてみたい。それができたらもう死んでもいい」とぽつんとつぶやかれた。
そんな呟きを聞き逃さず、「Kさんに舞台に立ってもらおう」と思い立たれた仲間がいた。
それがmさん。
mさんから私にメールが来た。
「Kさんの舞台を見たいと思わない?みんなでそういうの企画してみようよ」って。
紆余曲折を経て、今週末の17日、Kさんの舞台が実現することになった。
ひとり芝居はちょっと手に負えなかったのでとりあえずは朗読会なんですけどね。
わなびープロジェクトと称して発起し、何度かの打ち合わせ会を経ていよいよ本番を迎える運びとなった。
朗読の演目は田辺聖子さんの「ジョゼと虎と魚たち」
神戸三宮の小さなライブハウスで、今度の土曜日の午後始まり始まりぃ~
不肖タバスコはフライヤーとプログラム作成を請け負いました。
イベントのタイトルは、「昼下がりのジョゼ」。
おばさんたちが手作りでこんなことしてます、程度のことではありますが、ま、悪くはないでしょう。
北海道から東京から駆けつけるお仲間もいらっしゃいます。
タバスコも海を渡って駆けつけます。
わなびーとは "I wanna be"から。
小さい頃夢見た未来の自分
何かになりたかった私たち
もうその未来に既にきてしまった私たち
なにになれたのでしょう
ほろ苦いおばさんたちの今の、ささやかな夢がささやかに、花開くことを願って。
4月の上京は、クドカンのお芝居が主目的ではあったんだけど、そのお芝居に誘ってくれたネットのお友達が、「タバスコさんのせっかくの上京だから」といろいろに動き回ってくれて、在東京のネットのお友だちが集まってくれたわけです。
30代から60代までの、まあ、一言で申せば、「美しき人妻たちの集い」でございました。
一言では言い足りないのでもうちょっと修飾語を施してみますと、「春のTOKIO、桜は散ったが女ざかりはまだまだこれからの美しき人妻たちの宴」と言ってみてもよろしかったでしょうか。
第一夜は観劇。
第二夜が新宿での宴でございました。
二日目の昼間に時間があったのでもう一本お芝居を探そうか、何かいい催し物はないだろうかと思っていたところに、山田さんのイベントの情報が入ったわけでした。
土曜日の午後の山田さんとの歓談の時間の後、私は新宿へ向かったわけですが、山田さんに新宿までの行き方をもったいなくも教えていただき、恐れ多くも地下鉄乗り換え駅までもご案内いただいてしまいました。
で、新宿伊勢丹前での待ち合わせ。初対面の人妻が3人、それ以前に数回お会いしてる人妻2人、私を入れて6人の宴でございましたの。
初対面といえどもネットでたっぷりおしゃべりをしている間柄だからなのか、いきなり高テンションで会話が弾みました。
タバスコ本日53歳と相成りました。
その時は52歳だったんですけど、まずまずおもしろき50代を過ごしております。
60代の人妻も、先日お会いした74歳の、この方は既に人妻ではなくていらっしゃいましたが魅力的な同性の先輩達と交流がもてるのも、偏にインフォメーションテクノロジーの恩恵でございましょう。
でなきゃ、こんなど田舎に幽閉されたような身の私はこういう知己を得られることはなかったでしょう。
まだまだ、まだまだですよ。
もっともっとですよ。
生きていなくちゃいけません。
本日タバスコ母(京都在住)も84歳の誕生日です(同じ日が誕生日なんざんす)。
女の人生、いろんなサンプルをみて、学んで、まねて、追いついて追い越して生きてまいりましょう。