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1月13日、タイガース京都公演を見て、興奮冷めやらぬ18日、NHK「SONGS」にタイガース出演。

何度も何度も繰り返し見てしまうなぁ。
なんべんも見てしまうのは気持ちええからなんやろなぁ。
なにが気持ちええのかしら?

ピーがすごくうれしそうにドラム叩いてはるのね。ジュリーのアップの後ろで見えにくい角度のピーにもずっと目を凝らして画面に見入ってしまう。

そんなに笑顔満面と言うわけではないんだけど、65歳のピーが、きっと私などが想像できることなんかごく一部だと思う、いろんな思いを懐中しながらドラムを叩いているその姿が、見ている私をとにかくええ気持ちにさせてくれるんだから、きっとピー自身がええ気持ちでドラムを叩いているってことなんだろうと思う。そう思うとなお一層うれしくなって、また見たくなってしまうんだなぁ。

いろいろね、言葉にしてみたいことはあるんだけど、さっきから書いては消し書いては消ししてます。

別に言葉にしなくてもええか、って気持ちになってくる。

私らファンの前に帰ってきてくれてありがとう、という気持ちでいっぱい。

熱狂的ファンやったと言うても本当はピーのことなんかすっかり忘れてたんですよ。

解散して数年間は週刊誌でときどき消息について断片を目にすることはあって、そのたびにさびしいさびしい気持ちになりました。
ピーはタイガース時代をひたすら忘れたがってはるんやなぁって思えて、悲しかった。でもそれも3年くらい?そのあとは身近の男の子との恋愛に目を奪われて、ピーのことなんかすっかりすっかり忘れてました。

解散して10年後にいっぺんタイガースが再活動した時、私は全く興味が持てなかったんです。コンサートにも行ってません。テレビで見て、へえええ、と思うだけでした。そのときちょっとだけ胸がちくりとしました。
ピーはもう2度と私らの前には出てきはらへんにゃなぁと再確認させられたようで、その時悲しい気持ちがよみがえりましたけど、ふうん、という程度で過ぎ去れました。

去年の2月、新聞でピーの姿を見てびっくりして・・・それから私の胸に訪れた感情・・・それは心地よい感情で、湿った暖かい気持ちやったんです。

湿った暖かな感情が胸に少しずつ満ちてくる感じ。
湿った暖かな感情をもっと分析して、大感想文を書いたら、山田先生に、「とてもいい手紙でした」ってほめられたんですぅ。

その一部をここに再現しよと思たんですが、その文書ファイルが見つからへん。どこ行ったんや、私の名文よ~~~

ま、ええわ。失くしたもんはすぐあきらめる、というのが私のモットーですよって。

いっぱいいっぱい失くしてきました。つい最近も大事にしてたマフラー失くしたし。
失くすばかりの人生やった、とは昨日読み終えた「花狩」の主人公タツの老境に至っての感慨でした。60過ぎて、自分の食い扶持はまだ自分で働いて得なければならない、一生懸命働いて築いたはずの財産も、愛情の限りを注いだ息子も戦争で失くしたタツが、残った子供に疎まれて預けられた瀬戸内のさびしい田舎で悲嘆しながらも、それでも、失くしたものへの未練だけに縛られず、ふつふつとわき上がる気力を感じて物語は終わるんです。

人生はどんどん失くすばっかりや、と気づいて尚投げやりにならずに生きていくその心境は、今の私に大いに共感できました。

13日、タイガースのコンサートの後で一緒に飲んで午前3時までしゃべり通した旧友が、「ほんまに僕は芝居が好きやったのか、って最近になって思うことある」という。

芝居なんて生活の糧を得にくいような道を選んで生きてきたからには、「好きやから」という気持ちの代償でもなければ自分の人生に言い訳がたたんのんちゃうかなぁって私は思うけど、でもそういう彼の告白は正直な気持ちでもあろうと思う。でも、正直であってもそれが全部の気持ちではないこともわかる。酔ってそういうことを言いたくなる気持ちもわかる。言って、悔いる気持ちもあるだろうなってこともわかる。
私は好きなこと見つけられずに(これに人生賭けよって思うほどの)ここまで来てしもて、それが無念と言えば無念。無念な人生。人生賭けて好きなこと貫き通すというのが一番価値ある人生のはずや、と私は思い続けている。でも叶わないままもうこんな年になってしまいました。だとしたらその代償になるような何ものかが残ったのかと問えばそれも空しい。
時間を失くし、情熱を失くし、自信を失くし、マフラーを失くしいしいして55歳になって、案外うれしそうに生きてる。アホやからなんやろか。

旧友が、つい正直な心情を吐露する相手として認めてくれたのだとしたら、それはひょっとしたら、人生はどんどん失くすばっかりやということを知ってなおしょぼくれずに笑っている人間の価値を私に見出してくれたからかもしれへんなぁと思う。

一昨年あたりからの私の心情の通奏低音ともいうべき、この、失くすばっかりの人生への肯定感に沿うようにして、私は、ピーの再来を見ていたような気がするんです。

ピーは、41年前の解散直後の心情を、「それまでの自分を(タイガースの5年間を)否定しないでは次の自分が出てこれなかった」というような言葉で表していた。当時24歳だった人が、その24年間の内の5年間をなかったもののようにして、その後の40年近くを生きてきたんだろうと、彼がタイガースのメンバーとほとんど絶交状態であるということを聞いたときそう思い、それをとても悲しく感じたんだけど、今回の再活動によって、なかったもののように置き去りにしていた5年間を彼は正当に復活させたような気がして、ピーの人生にとってそれはとても喜ばしいことだと思え、その思いが湿った暖かな感情を作ってくれていたことに気付いたわけでした。

人の人生は7、80年くらいのものとして、概ねその時間内に人はどんどんいろんなものを失くしていく。どんな理屈をつけようとも、残り時間はどんどんなくなっていくばかりに違いないんですよね。

55歳の私が、自分の残り時間のことを初めてリアルに感じ始めた時期に、昔のアイドルの、40年という時間を経ての再来を見、すごく揺すぶられました。
人生を賭けて好きなことをしてきたとは言い切れないと吐露する友人の人生を悲しいばかりではない心情で理解できる人間になれてました。
まだまだしゃべりたらないと私たちは思う。


Youtubeに、41年前の解散コンサートでのピーの動画がありました。
24歳のピーです。
41年経って、「SONGS」で65歳のピーは、やっぱりすっかり老けています。
ちゃんと、41年は流れました。
私にもちゃんと41年が流れました。

いつか、そんなに遠い未来ではないいつか、みんなみんないなくなってしまう日が、もうそんなに遠くない未来にやってくることを知っていて、あともういっぺん、「ピー!」ってコンサート会場で叫びたいなぁ。あともういっぺんくらいでええかな。2回くらいできるかな。3回は贅沢かな。


ピー、本当に帰ってきてくれてありがとう。長生きしてくださいね。
今西君も長生きしいや。まだまだこれからもいっぱいいっぱいしゃべろな
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3時過ぎに家を出て、高速に乗ったら1時間で松山に着く。インターを降りてから市街地を抜けるのに30分かかった。
約束の5時を10分ほど過ぎて無事友人M子宅に到着。

玄関に室内犬(パピヨンなんちゃらって犬種)が出迎える。
彼女が犬を飼い始めたのは聞いていたけど見るのは初めてだ。それを彼女に言うと、「ええ?そう?もう飼い始めて4年になるよ」だって。

ってことはもう4年もこの家に来てないことになる。

感覚としては2年くらいのご無沙汰感。もうこういうことがしょっちゅう起こる。
時間の経過の感覚がつかみきれないよなぁ。

で、「M子にはいつ会ったっけ?」
「今年会ったよね」
「うん、それいつ?」
「ええと、5月?」
「3月ごろちゃう?」
「なんか、うすら寒かったころ」
「ええとええと・・・」


とそう言うのもすぐには思い出せないのだ。
10分くらい二人で「いつやったかなぁ」と言いあい、それが4月の15日ごろであったことにようやくたどり着く。

そして、彼女のお母さんの痴呆は緩やかに、でも確実に進んでいるという話を聞き、溜息をつきあい、「でも呆けて母は楽になってるような気がする」と彼女はいう。

呆けることは当人にはそんなにつらいことではないのかもしれない。
娘としてそれをことさらに憐れまないで「母はらくになった」ととらえるところがM子の見識というか、優しさのように思う。私はこういうところでM子を信頼することができている。

彼女が連れて行ってくれたお店は、家から徒歩で行ける、野菜をおいしく食べさせてくれるお店だった(店名、覚えていられず)。

焼き野菜だの、素揚げで塩だけで食べるのとか、豚肉も本当にお塩だけで食べさせる、素材がいいからそれだけでおいしいというお店で(サラダの中の生のなすがおいしかったぁ、ナスが苦手なM子もびっくり)、二人で生中を仲良く5杯ずつ同じペースで飲んで、食って、しゃべって、話の中身により、ちょっと涙ぐんだり(年のせいで涙もろくなってるなぁ、二人とも)、昔を懐かしんだり(彼女が大学時代下宿していた森田荘の住人たちの話とか)・・・


そして、話題に出てきた人ではなかったけれど間接的に、「病気で亡くなった」人の話も出てきた。

そういう年齢になったってことをここでも改めて知ることになる。


お店は一軒だけでそのあとはM子の家に戻り、缶ビールをもう一本ずつ飲んだ。ナスが好きな私のためにわざわざ買っておいてくれた漬物を切って出してくれるのをつまみに、それだけでもう私たちは疲れてあとはお風呂に入って、12時前に寝入ってしまった。

私が四国に来てから30年近く、もう何度も何度も何度も松山の歓楽街を飲み歩いて、何軒もハシゴしたり、家に帰ってからも夜通し飲んだりしたけれど、もう、私たちは年とっちゃってええ加減なところで手を打って、「これくらいにしといたろ」と切り上げることもできるようになったんだなぁ。

そして今朝、7時半に起きて、M子が入れてくれるコーヒーを飲んで、また高速すっ飛ばして帰ってきたわけ。

ま、もうちょっと繁く松山通ってもいいかなぁ。
この年になって、うまく話せなくてもどんな思いをしたのかってことをわかってくれる友人ってやっぱり貴重だよなぁと今回しみじみ思いました。

 

大学のゼミで一緒だった今西君から夫婦連名宛の封書が届いた。

「突然の便りに驚かれたと思います」

おお、驚いたともさ。

卒業以来30年間年賀状だけの付き合いだったもの。

http://theaterkura.blog116.fc2.com/blog-date-20100704.html


54歳になった彼が一念発起、演出を手がけた舞台を打つという、その公演案内チラシとともに、今現在の心情などが綴られた手紙。(その手紙は原稿用紙に、そのます目を無視した、かつて30年前の彼の手紙のスタイルを踏襲したものだった)

その筆跡もなつかしい。


http://www.geocities.jp/idononaka1789/novels/html/tel.html

拙著「電話」に登場する芝居男のモデルが彼。
大学3年~4年にかけて恋愛とも呼べないような淡い、ちょっと薄甘い関係が彼とはあったのはあった。
そんな薄甘い関係の種にふくらし粉を混ぜてひねりだしたのが「芝居男」なんだけど・・・

小説の中ではタバスコがふられることになってるけど、ふったのはタバスコのほう。(ほんまやって)
今西君をふってあほばかダンナと結婚しちゃったってわけだ、ふん。


まあ、そんなことは今となってはどうでも良いことじゃ。

30年も経てば時効どころか時間の風雪に端緒の感情もなにも赤錆だらけとなりにけり。
赤錆びた感情には興味はない。

だけどそれとは別の感情はある。

54歳になった私たちが、まだ何ものか、それはひょっとしたら虹色をしたような何かを自分の人生に描きたいと思い続けている、その同志への、切ないような愛おしさ、と言ったらいいのだろうか。

今週金曜日に初日の幕が開く。

先週娘の引越しで関西へ出かけたばかりのタバスコではあるが、これは行かねばなるまい。
ちょうど、娘の「忘れ物」を届ける必要もあったし(来週でも来来週でもよかったんだけどさ)
 

関西在住のお暇な方、よろしかったらお出かけになってみませんか。
54歳になった芝居男に興味をもたれませんか。



あの小説の芝居男はほとんど創作に近いんだけどね。でも、タバスコが芝居好き男の今西君から受けた影響は小さからずありましたとも。


チケット入手方法問合せのメールのやり取りを短くかわし、最後にこう書きました。


初日の幕が開くまで、存分に苦しみ、その苦しみも存分に楽しんで、より良き舞台を私たちに見せてくださることを祈りつつ・・・


先日の京都お泊り飲み会でのことなんですけど。

泊まったのはこちら↓
http://www.hotel-village.jp/kyoto/
お布団は客が敷くようなシステムでした。


で、実はタバスコはいっとう始めに沈没しちまいました。お疲れだったんですね。


しばらくして目が覚めたらまだみんなしゃべってて、夢うつつの境界線で話を聞いてました。

静岡のひずるちゃんが娘のことを話している。

「うちの娘ってさぁ、可愛いのよ、顔が」ってしゃべりだした。

ひづるちゃんはそんなに美人じゃない。
だから聞いてるKやMやMが声をそろえて「へえええ」とゆってるのが聞こえておかしかった。

「小さいときから可愛い可愛いって周りから言われてるもんだから、性格が悪くってバカなのよ」と言っている。

ここで笑い声。(あは、という程度、みんなかなり疲れてきているらしい)

就職活動でも、顔がいいからいいとこまで行くんだけど最終面接でバカがばれちゃってさー、なかなか決まんなかったの

てな具合の話。

みなさんはひずるちゃんを知らないからこの話の雰囲気が伝わらないだろうけれど、さっき美人じゃないって言ったけど、ちっちゃくて可愛いといえば言えなくもない、黙っていたらばその可愛いたたずまいに騙される男がいてもおかしくない雰囲気はあるわけ。で、声も可愛いいんだけど、言うことがこの調子だもんだから大学時代もあまりもてなかったなぁ(ま、私らの仲間だからな)と私はまだ布団の中でひずるちゃんの声を聞き続けていた。聞きながらまたうとうと・・・

うとうとして次に目が覚めたらひずるちゃんとMが沈没していて、もう一人のM(まちゃこ)とK(くろちゃん)が二人だけでしゃべっていた。もう時刻は3時を回っていたと思う。

この二人は同じ下宿にいたので下宿にまつわる思い出話をしている。

「まちゃこの部屋によくキンキがきてたよね」
「ええ?そんなに来てないよ、3回くらいやって」
「いや、4,5回はきてた。トイレのドアに男の影が映って私おしっこ行けずに困ったことがたびたびあったもん」
「でもあそこ、男子禁制やったからそんなにきてなかったと思うけどぉ」
「いんや、きてたって」

「キンキと別れた日のこと覚えてる?」
「ええ、何でそんなことをくろちゃんが・・・」
「帰りの電車で泣いてたら、隣の席のおばさんがみかんくれたって」
「ええ?そんなん全然覚えてない。」
「んで、まちゃこ泣きながらみかん食べたって、帰ってから話してくれたやん」
「ええええ?それ、5月のことやろ?北海道で?みかんなんかもらうかなぁ」

「みかんのガムもらったって聞いたで」

とここで寝ているはずのタバスコが証言に立つ。

私が聞いたと記憶してるのは、卒業後遠距離になっちゃった(北海道と愛媛)キンキ(まちゃこの恋人)に会いにはるばる北海道まで行って、結局別れ話になって、空港までの電車の中で涙がぽろぽろこぼれて止まらなくて、そしたら隣の席に座ってた小学生がみかんのガムをくれた、という話。

くろちゃんの記憶では、おばさんがみかんをくれたということになっている。

当のまちゃこは「覚えてない」と言うている。

ま、人生そんなもんかな。

なおも会話が続く。

「キンキ、どんなおっさんになってるかな」
「頭は確実はげてると思う」
「うん、それは私もそう思う」
「うん、はげてるね」


人生ってこんなもんなんですって。

プロフィール
HN:
タバスコ
年齢:
67
性別:
女性
誕生日:
1956/05/26
職業:
兼業主婦
趣味:
広範
自己紹介:
おもろいおばはん
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