だけど人間は甘い
母(85歳)を連れてお出かけ週末でした。
京都南インターから名神、近畿道、阪和道を経て和歌山県岩出市ってとこまで。
初めて走る高速。知ってはいるけどあまりなじみのない地名表示が新鮮でおもしろかったりする。
「松原」は、死んだ父が9歳くらいまで暮らした土地なんだそうだ。
夫を亡くして故郷で食い詰めて、なんらかのツテを頼って父の母は幼子を抱えて異国に流れ着いたのだろう。
それが松原という名の土地だったことは初めて聞いたなぁ。
それから堺に移り住んで、堺で暮らしていたことは聞いたことがあったけれど。
高速を走る車の中、85歳になった母と61歳の長女と55歳の三女の私たちの会話の中で父がよみがえる。
「その後、お兄さんの奥さんと折り合いが悪くて一人で東京へ行かはったんやって。」
そのお兄さん夫婦は戦後韓国へ戻り、父は一人日本に残り母と結婚し私たちが生まれたわけだ。
岩出市には二年前から二番目の姉が住んでいる。
http://r.tabelog.com/wakayama/A3001/A300102/30004330/dtlrvwlst/2732395/
こういうお店をやってる。
母がこの姉の家に連れて行ってほしいと前から言っていたので、今回上の姉と相談して出かけてみたわけです。
娘三人と母、雑魚寝の夜でした。
http://blog.livedoor.jp/tabasco526/archives/50510553.html
↑
「雲のじゅうたん」のこんなシーン、思い出したなぁ。
金曜日の午後から出かけ、その夜は京都に泊まり翌朝大阪の姉を拾って和歌山に向かうという手筈で。
折よくヒカリも大阪に用があるのでいっしょに、6時までに大阪に着ければいいという目算で3時に家を出たんだけど、阪神高速で渋滞に合い目算大狂い。
ヒイちゃん、予定の講演会に間に合わず。京都に着いたのが8時過ぎてました。(ヒイちゃんは大阪泊)
その前日の木曜日、塾の授業と授業の休憩時間に思い立って、今西君(http://tabasco.blog.shinobi.jp/Entry/81/)に連絡入れて梅田で会う約束してたけど、それも目算狂いでお流れに。
京都の大山崎インターを下りた時点で、「こりゃ、無理だな」と思い、「今夜の梅田会談はお流れです~」とお詫びのメール入れてた。
西京極の実家に着いて、仏壇の父の前で胡坐をかいてビールを飲みながら、「うーん、そりゃ残念」という返信メールを読む。
今西君と会う予定だったから夕飯も食べず、母にも用意不要と伝えていたから何も食べるものがない実家の夜。冷蔵庫の中のきゅうりの漬物と韓国のりで一人宴会でございました。折しも(なんの?)2011年11月11日のことでござんす。
金、土、日そんな具合で関西を周遊して日常に舞い戻ってまいったタバスコ、これから年末までバタスコ(あるいはタボスコ)でがんばります。
皆さんも20011年の残りのひと月半(きゃ~あとひと月半だって!)を有意義にお過ごし下され。
京都南インターから名神、近畿道、阪和道を経て和歌山県岩出市ってとこまで。
初めて走る高速。知ってはいるけどあまりなじみのない地名表示が新鮮でおもしろかったりする。
「松原」は、死んだ父が9歳くらいまで暮らした土地なんだそうだ。
夫を亡くして故郷で食い詰めて、なんらかのツテを頼って父の母は幼子を抱えて異国に流れ着いたのだろう。
それが松原という名の土地だったことは初めて聞いたなぁ。
それから堺に移り住んで、堺で暮らしていたことは聞いたことがあったけれど。
高速を走る車の中、85歳になった母と61歳の長女と55歳の三女の私たちの会話の中で父がよみがえる。
「その後、お兄さんの奥さんと折り合いが悪くて一人で東京へ行かはったんやって。」
そのお兄さん夫婦は戦後韓国へ戻り、父は一人日本に残り母と結婚し私たちが生まれたわけだ。
岩出市には二年前から二番目の姉が住んでいる。
http://
こういうお店をやってる。
母がこの姉の家に連れて行ってほしいと前から言っていたので、今回上の姉と相談して出かけてみたわけです。
娘三人と母、雑魚寝の夜でした。
http://blog.livedoor.jp/tabasco526/archives/50510553.html
↑
「雲のじゅうたん」のこんなシーン、思い出したなぁ。
金曜日の午後から出かけ、その夜は京都に泊まり翌朝大阪の姉を拾って和歌山に向かうという手筈で。
折よくヒカリも大阪に用があるのでいっしょに、6時までに大阪に着ければいいという目算で3時に家を出たんだけど、阪神高速で渋滞に合い目算大狂い。
ヒイちゃん、予定の講演会に間に合わず。京都に着いたのが8時過ぎてました。(ヒイちゃんは大阪泊)
その前日の木曜日、塾の授業と授業の休憩時間に思い立って、今西君(http://tabasco.blog.shinobi.jp/Entry/81/)に連絡入れて梅田で会う約束してたけど、それも目算狂いでお流れに。
京都の大山崎インターを下りた時点で、「こりゃ、無理だな」と思い、「今夜の梅田会談はお流れです~」とお詫びのメール入れてた。
西京極の実家に着いて、仏壇の父の前で胡坐をかいてビールを飲みながら、「うーん、そりゃ残念」という返信メールを読む。
今西君と会う予定だったから夕飯も食べず、母にも用意不要と伝えていたから何も食べるものがない実家の夜。冷蔵庫の中のきゅうりの漬物と韓国のりで一人宴会でございました。折しも(なんの?)2011年11月11日のことでござんす。
金、土、日そんな具合で関西を周遊して日常に舞い戻ってまいったタバスコ、これから年末までバタスコ(あるいはタボスコ)でがんばります。
皆さんも20011年の残りのひと月半(きゃ~あとひと月半だって!)を有意義にお過ごし下され。
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