だけど人間は甘い
交差点の赤信号に捕まって、でもそこまで走りづめやったから、ちょっと息をつけるのもええかと立ち止まり、前を見ると先に信号を渡り終えたヒカリが自転車を停めて振り返っている。
自転車で走るヒカリの後ろを私は走って追っかけてたのだ。追っかけていたんじゃなくてついて走っていたというほうが正確。
これ、夢の話だからなるべく正確に再現しようと努めている。
走るのが結構きつい。
「ヒカリ~、早すぎ~」とか言いながら、私が自転車に乗ってヒカリが走ったらええんちゃうん?と最近老化著しい私はやや理不尽さも感じつつそれでも一生懸命走って、信号待ちで止まったときは、ハーハーゼーゼー言っていた。で、両手を膝で支えるようにして息を整え、視線を下に向けると、足元に猫がいた。
それは搗きすぎた鏡餅みたいにでろ~と道に伸び広がってる感じの白猫。ゆぱがいつもこんな感じで床に寝そべっていた。その姿はいつも私に搗きすぎたお餅を思い出させていたので、その時も同じように感じ、ゆぱに似た猫やなァと思ったのだ。
でも、ゆぱのはずがない。ゆぱはもういなくなってから12年も経つし、そのとき既に7歳だったし、もうどんな可能性を想定してもゆぱが生きて戻ってくるということはない。いや、それにしてもゆぱに似てる。毛の汚れ具合とかも。耳の付け根前方部のそりこみみたいに見える、毛の薄くなり方も(ケンカのたびにゆぱはそこを一番やられるらしく度重なるケガでそこが薄くなってたのことよ)。
猫が頭をもたげ私を見、私も見つめ返したら、ゆぱにそっくりだった。
そっくりだけじゃなくてゆぱそのもののような気がして、「ゆぱ?」と声をかけたら、「ふにゃ~」と、その答え方が「そやけど」って言ってる感じだった。
抱き上げたら確かにその重みはゆぱだった。
12年経っても覚えてるゆぱの抱きごこちやった。
ゆぱは目を細めて私に抱かれていた。
実はゆぱは私に抱かれるのはあんまり好きじゃなくときどき「いやぁ~ん」と両手をつっぱらかしたりして私を拒んだりするヤツだったけど、久し振りだからなのかわりと嬉しそうに抱かれている。
のどを撫でて確信した。そこには、いなくなる1週間ほど前に怪我をしてお医者さんに縫ってもらった針金の痕があったのだ。
いなくなって、一番心配したのがこれだった。1週間後に抜糸する筈だったのが、その直前にいなくなって、針金状の糸をつけたままで、傷口が膿んだりしないだろうかとか心配したのだ。その針金の感触を指に感じて、すぐに田尾さんとこ(ゆぱの主治医)連れていかなあかんなぁと思い、ゆぱがほんまに帰ってきたんやということをありありと実感していた。
交差点の向こうのヒカリに「ゆぱ、ゆぱ」と腕の中の猫を指差してゼスチャーで伝えると、ヒカリはわかったようなわからないような薄い反応だった。
ゆぱがいなくなったのは、ヒカリの高校の合格発表の日だった。
中学二年からほとんど学校へ行けなくなっていた子が、「高校では生まれ変わってがんばりたい」と希望を持てるようなことを口にしていた。
合格発表から帰ってきたヒカリが、「ゆぱも心配で見に行って迷子になってるんかな」って言った言葉を思い出す。そうだあの日からいなくなって、結局帰ってこなかったのだ
ゆぱがいなくなってすごくすごく心配したし悲しかったしこわかった(どんな目に遭ってるかと想像すると怖ろしくなった)けど、現実の生活の中にはもっともっと大変な、心配な、悲しい、怖ろしいことがあの頃にはあったような気もする。希望はすぐに打ち砕かれたり、でも、へたってる場合ちゃう、と自分をしかりつけるようにして、そんな現実の中で次第にゆぱのことをあきらめていった。
もっと別のこともたくさんたくさんあきらめていった。
12年も経って、また夢に見て、抱っこしたら温かくて重くて一瞬嬉しくて、目覚めたらがっかりした。
そんなものなのかもしれない、って思った。
こんな短い人生の中で手にできる奇跡なんてないのかもしれない。
誰かのもとには奇跡もなくはないかもしれないけれど、それは本当に稀なことなんだろう。
希望はすぐに打ち砕かれるし、願っても叶わないことだらけだ。
私が私の人生でできることは、あきらめてもほかしてしまわないってことかな。
もうきっと本当に生きてはいないゆぱを繰り返し思い出すこととか。
私が私の人生でできることはそれくらいのことなんだな、なんて思います。
自転車で走るヒカリの後ろを私は走って追っかけてたのだ。追っかけていたんじゃなくてついて走っていたというほうが正確。
これ、夢の話だからなるべく正確に再現しようと努めている。
走るのが結構きつい。
「ヒカリ~、早すぎ~」とか言いながら、私が自転車に乗ってヒカリが走ったらええんちゃうん?と最近老化著しい私はやや理不尽さも感じつつそれでも一生懸命走って、信号待ちで止まったときは、ハーハーゼーゼー言っていた。で、両手を膝で支えるようにして息を整え、視線を下に向けると、足元に猫がいた。
それは搗きすぎた鏡餅みたいにでろ~と道に伸び広がってる感じの白猫。ゆぱがいつもこんな感じで床に寝そべっていた。その姿はいつも私に搗きすぎたお餅を思い出させていたので、その時も同じように感じ、ゆぱに似た猫やなァと思ったのだ。
でも、ゆぱのはずがない。ゆぱはもういなくなってから12年も経つし、そのとき既に7歳だったし、もうどんな可能性を想定してもゆぱが生きて戻ってくるということはない。いや、それにしてもゆぱに似てる。毛の汚れ具合とかも。耳の付け根前方部のそりこみみたいに見える、毛の薄くなり方も(ケンカのたびにゆぱはそこを一番やられるらしく度重なるケガでそこが薄くなってたのことよ)。
猫が頭をもたげ私を見、私も見つめ返したら、ゆぱにそっくりだった。
そっくりだけじゃなくてゆぱそのもののような気がして、「ゆぱ?」と声をかけたら、「ふにゃ~」と、その答え方が「そやけど」って言ってる感じだった。
抱き上げたら確かにその重みはゆぱだった。
12年経っても覚えてるゆぱの抱きごこちやった。
ゆぱは目を細めて私に抱かれていた。
実はゆぱは私に抱かれるのはあんまり好きじゃなくときどき「いやぁ~ん」と両手をつっぱらかしたりして私を拒んだりするヤツだったけど、久し振りだからなのかわりと嬉しそうに抱かれている。
のどを撫でて確信した。そこには、いなくなる1週間ほど前に怪我をしてお医者さんに縫ってもらった針金の痕があったのだ。
いなくなって、一番心配したのがこれだった。1週間後に抜糸する筈だったのが、その直前にいなくなって、針金状の糸をつけたままで、傷口が膿んだりしないだろうかとか心配したのだ。その針金の感触を指に感じて、すぐに田尾さんとこ(ゆぱの主治医)連れていかなあかんなぁと思い、ゆぱがほんまに帰ってきたんやということをありありと実感していた。
交差点の向こうのヒカリに「ゆぱ、ゆぱ」と腕の中の猫を指差してゼスチャーで伝えると、ヒカリはわかったようなわからないような薄い反応だった。
ゆぱがいなくなったのは、ヒカリの高校の合格発表の日だった。
中学二年からほとんど学校へ行けなくなっていた子が、「高校では生まれ変わってがんばりたい」と希望を持てるようなことを口にしていた。
合格発表から帰ってきたヒカリが、「ゆぱも心配で見に行って迷子になってるんかな」って言った言葉を思い出す。そうだあの日からいなくなって、結局帰ってこなかったのだ
ゆぱがいなくなってすごくすごく心配したし悲しかったしこわかった(どんな目に遭ってるかと想像すると怖ろしくなった)けど、現実の生活の中にはもっともっと大変な、心配な、悲しい、怖ろしいことがあの頃にはあったような気もする。希望はすぐに打ち砕かれたり、でも、へたってる場合ちゃう、と自分をしかりつけるようにして、そんな現実の中で次第にゆぱのことをあきらめていった。
もっと別のこともたくさんたくさんあきらめていった。
12年も経って、また夢に見て、抱っこしたら温かくて重くて一瞬嬉しくて、目覚めたらがっかりした。
そんなものなのかもしれない、って思った。
こんな短い人生の中で手にできる奇跡なんてないのかもしれない。
誰かのもとには奇跡もなくはないかもしれないけれど、それは本当に稀なことなんだろう。
希望はすぐに打ち砕かれるし、願っても叶わないことだらけだ。
私が私の人生でできることは、あきらめてもほかしてしまわないってことかな。
もうきっと本当に生きてはいないゆぱを繰り返し思い出すこととか。
私が私の人生でできることはそれくらいのことなんだな、なんて思います。
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