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9月28日に地区敬老会を終え、締め切りまで残り2週間を切った!という切羽詰った気持ちで最終推敲作業に突入。
切羽詰ってるのに、分館長から、「あらかたの収支報告、早めにつくっといてな」とか言われたりするかわいそうなタバスコ。
「締め切りが!」と言いたい気持ちをぐっとこらえ、「えへへへ。承知いたしやした」と答えるもけなげで我ながら泣けてくる。

地方文学賞応募を目論んでいるなんぞ恥ずかしくって口が裂けても言えねえ言えねえ。

ダンナにもそんな言い訳効かねえ。

つつましく主婦業にいそしむタバスコであった。

だけど、ううううう、こんな時期に来て字数が大幅にオーバーしてることに気がつくボケ振り。

だって、30×30(字)で書いてたものを、原稿用紙枚数に換算したときの作業にミスがあったなんて予想してなかったんだもん。(設定は20×20(字)にしたはずなのになってなかったらしい。なんでやねん!理由は今もってわからず。ヒカリに聞いたら、多分おかあさんの操作ミスってひとことで片付けられちゃったんだけど)

とにかく、15枚くらいオーバーしちゃってるんだ(どんだけ換算ミスしてるねん!)!

とにかく削らなきゃ!

削ろうと思えばどこもここも削れるような気がしてくるから哀しい。

あわわわわという気持ちで過ごした2週間。
10月10日が締め切りという、その朝何とか仕舞をつけて郵便局から発送完了(当日消印有効)

その翌日から名古屋へ掃除婦として赴く。
でも、今回ヒイちゃんのお部屋はなんと65パーセントだったのだ!

前日電話でヒカリに、「お部屋どう?」と聞くと、「ううむ、65パーセントかな」という意味不明の答え。

「それは散らかり方が?片付き方が?」と聞くも要領を得ず、「お母さんが見て判断して」ということだったのだ。

そして私は、「ううむ、65パーセントだな」と見て判断した。

これ以上のことはうまく説明できない。とにかく65パーセントだったのだ。(それはやや喜ばしい数字であったということだけは付け加えておこう)


土曜日、日曜日をまなまな娘のヒカリと名古屋で過ごし、月曜日の朝名古屋を出て大阪へ、そこでちょいと野暮用をこなし夕方の新幹線に飛び乗って帰宅したのが7時半だった。

やっとこ通常の主婦のような時間がそこから戻ってきた。
そして、今週が始まり、年賀状のサンプル作りなどを鼻歌交じりでこなし、ここ一ヶ月くらいの主婦業務怠慢期のツケをぼちぼち支払いつつの日々を乗り切り、昨日、今日は念入りに念を入れた掃除と衣類の整頓などをこなし本日夕刻、なんだか久し振りにほっとする時間を手に入れたのだった。

友人に出したい手紙もあるし。

その夕刻のぽっかりした時間に、しみじみと思ったものだった。

ああ、私はかなり幸せな52歳を生きておるのじゃなかろうか。

11月の末には友人との温泉旅行の計画もある。
いつもながらの松山と西宮の友だち。

「お姫様懐石プランっつうので16,800円、これでどう?」と夕べ友人からメールが来ていた。
「ううむ、やや予算オーバーじゃがええじゃろ、それにすべ」。


ちょいとばかしええ気にさせてくれる男友だちの一人二人いないでもなし、特に暴力的でも高圧的でもない、どっちかっていうと物分りの良い、っつうか言いなり?のダンナがいて、お母さん大好きなどと言うてくれる娘(26歳、恋人なし)がいて、おお、これが幸せというものだ、といえば言えなくもない、けどこんなもんを幸福だと思うては女が廃るとまだうそぶいたりする若さは持ちこたえているらしい。

悪くないかもしれない。

今夜はそれくらいの気持ちで留めておこう。





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夕べは午前4時まで起きてた。

とはいえ午後11時から1時半までは寝てたんやけどね。

真夜中に起き出してこっそりお風呂に入ったり、台所でコーヒーをこっそり入れたり、ついでにこっそりタバコを吸ったりと不良少女ぶりがかいらしいタバスコであった。

ヒカリはいま、「図書館へ行く」と言ってミニバイクで出かけました。

ダンナはどこ行ったんやろ?

と思ってたら今帰って来た!
別に帰ってきて欲しいわけじゃなかったのに。




まだ夏の雲がぐんぐんと盛り上るみたいに真っ青な空の一隅を占拠してる。


今夜はダンナのお友達夫婦とビアガーデンに繰り出すことになってる。
ヒカリはお留守番。

「トマトとチーズのオムレツ作って」とかいらしいリクエスト。

明日は一人で海へ行くんだって。

友達のいないヒカリはこの夏休みも暇をもてあましお母さん頼みの休暇を過ごしている。

人並みとか一般的の基準にあてはめると「なさけねぇ」状態の25才のヒカリであるけど、そんな基準は4年ほど前にすっかり捨てた(つもり)。

この人のペースで生きろ、それでいいと思ってる。
けれど思いすぎてもあかんにゃなと考えたりもさせられる。

親は時には鬱陶しいことも言わなあかんのかな。

私は人に鬱陶しいことを言われるとへにゃへにゃになってしまう。
立ち向かえなくてただひたすらへにゃへにゃになる。

ヒカリをついつい世間の鬱陶しいことを言う人たちから庇護したくなってしまう。
それはつまり、私に降りかかる鬱陶しいことから自分を回避させたい代替行為に過ぎないのかもしれない。

この人が私の犠牲者であることはある一面その通りだと思う。

多分どんな子どもも親の犠牲になっている、そういう言い方もできる。


12年間、この子が生きるバランスを崩してからの私が考え続けてきたことを小説にできないだろうかと考えて書いている。

体験談ではなく、私が見た風景をことばにできないか、それも小説と言う形にできないかという野心が発端。
それはつまり私という人間を丸裸にするってことなんだけど。


タイムリミットは8月31日と設定している。

その日までに物語としてはエンドマークがつけられる状態までたどり着きたいということ。

残り一月で推敲してなどと頭の中の予定表にはそう書いてある。

夕べも真夜中に書いていた。

5行ほど書いて疲れて閉じた。

夏休みの宿題も、予定表どおりに済ませたことのない過去を持つタバスコが、この夏休みの宿題を期日までに終えられる可能性は非常に小さい。

人はそう簡単には自分を超えられへんもんやなァ。

52歳の夏、改めて思い知るタバスコであった。




あなたのパソコンで俵星玄蕃は変換されますか?

「たわらぼしげんば」で変換させてみてください。

私のパソコンは変換します。
単語登録してあるからね。


私と俵星玄蕃の付き合いは長い。

幼稚園のときに遡ることじゃろう。

母が三波春夫先生の追っかけをしてましたから。

京都会館とか南座とか、30代の母が三波春夫の実演ショー(当時はコンサートだのライブだのってことばはなかった)に、幼い私を連れて出かけていたのでしょう。結構覚えている。舞台の上のキンキラ衣装の三波春夫。
母は三波春夫を「三波さん」と呼んでいた。
母が慕う三波さんを幼い私も慕わしく感じていた(模様)。


それが幼い私へのPTSDとなったのか(意味ちゃうけどね、なんかそういう感じ。心的外傷ではなく心的刷り込み?)三波春夫には何か特別な思いがずっとずっとある。はっきり言って好きなのである。

2000年の秋ごろ、何か抗しがたい激情に駆られるようにして私は三波春夫先生のCDを買った。

「『俵星玄蕃』をものにしたい!」

全編10分以上にわたる浪曲歌謡の大作を朗々と謳いあげる三波春夫の勇姿がきっと私の心の奥の底に特別な輝きを放ちながら、しかしその輝きはあまりに深い部分に封印され意識しなかったものが、あるとき意識の表層に立ち上るようにして私をある種の激情に駆り立てたのだと思われる。

「『俵星玄蕃』を全編完全暗記したい!そして、朗々と謳いあげたい!」


その衝動が2000年秋のことだったようだ。

エンドレステープにして聞きまくる。

掃除のとき大音響で家中に響き渡らせながら。
あるいは車の中で。

夢中で聞いていた。何かに憑かれたように。


人があるものに常軌を逸して夢中になるとき、それにはきっと何か理由があるものです。あるものなんです。

当時の私にも理由があったんでしょう。
そりゃあったでしょうね。と遠い目になる。

理由は何であれ、取り付かれたように夢中で聞いて、気が付いたら完全暗記してました。


2001年、年明けて春が来てヒカリは大学生となり神戸へ。
その地へ私は訳あって毎週通う羽目に。

深夜の高速をひた走る私を励ましてくれたのが三波さんの「俵星玄蕃」だったのだ。



槍は錆びても 此の名は錆びぬ
男玄蕃の 心意気
赤穂浪士の かげとなり
尽す誠は 槍一筋に
香る誉れの 元禄桜

姿そば屋に やつしてまでも
忍ぶ杉野よ せつなかろ
今宵名残に 見ておけよ
俵崩の 極意の一と手
これが餞け 男の心

打てや響けや 山鹿の太鼓
月も夜空に 冴え渡る
夢と聞きつつ 両国の
橋のたもとで 雪ふみしめた
槍に玄蕃の 涙が光る



この歌にね、ものすごく励まされた時期があったわけです。

これ歌の部分だけですけど昨日の日記に書いた浪曲の部分とか語りの部分とかね、車を運転しながら朗々と謳いあげるわけです。
めっちゃ慰められたんです。

俵星玄蕃、私にとっては特別な特別な歌なんです。

最近はなんでもすぐに忘れていく。

若いころ、母親のもの覚えが自分よりも劣っているのは、母の忙しさのせいなんだろうと思っていた。

20歳の私は私のことだけ考えていればよくて、母はそうはいかない。
テレビで面白いタレントが出てくればその名前はいやでも覚えてしまうものなのに、同じように見ていた母はそうではないらしいことをそのように理解した。自分のことだけに注意をしているわけにはいかない生活って、つまらなそうだな、なんて、おばかな20歳の私は考えたりした。

20歳の私が何かの折にふとそんなことを考えたことがあったな、といまふと思い出しているだけ。

52歳の私はどんどん忘れていく。
こんなこと忘れるわけがないと、聞いたその瞬間は確信しているようなことでも一日すぎればすっからかんに忘れていたりする。
母も加齢によって忘れっぽくなっていたのか。なんてことを今ごろ気がついたりしている。


脳の高度機能障害っていうの?
どんな名称がついているのか忘れたけど(忘れっぽいからしゃあない)事故や病気で脳の一部が損傷を受けることで起きる複雑な記憶障害の話をずいぶん以前にNHKのドキュメント番組で見たことがあった。
ある男性は、交通事故で脳に重大なダメージを受け新しい記憶ができなくなるという障害に見舞われる。5秒後には忘れてしまう。
その男性にインタビューしているんだけれど、答えている途中で、「えっと何の話をしていましたっけ?」とその男性は何度か聞き返してきたりする。知能が低下しているわけではない。もともとその男性は知的にはすぐれた人(学者か学者を目指して勉強中だったかそういう人)だったので、インタビューへの答え方は的確だし論理的だし話し方も知的であることは十分にわかる。なのに少し話が途切れると、「えっと何の話をしていましたっけ?」とわからなくなるらしい。
それを見ていたのは多分40代の中ごろのことだったと思うんだけれど、私は今ほど忘れっぽくはなく、「まあ、なんて悲劇的な事態にこの人は陥ってるのだろう」とひどくお気の毒に思った。こんな状態の自分をこの先どうやってこの人は受け入れて生きていくのだろう・・・他人事ながら暗澹とした気持ちになった。けれど、その男性は、メモを取る、人との会話を録音するなどの工夫をしてなんとか日常生活を送っていた。彼の日常はそんなに悲劇的ではなかった。
そして最大の課題である就職についても、彼はある職業を得ることができる。それは家具職人。連続性のある作業ならできることを彼は自分の能力の中から見つけ出し、籐家具の籐を編むという仕事を得るわけ。

最近物忘れが著しい自分に気がついて、あっちゃーと思うとき、10年近く前のテレビの中で見た男性のことを思い出す。

もちろん彼の身に降りかかったことと同じに考えるわけにはいかないんだけれど、忘れても生きていけるもんなんやなァって思うことはある。

もちろん忘れて大変な目に遭うこともあるから、気をつけなくちゃならない。最近はメモを頻繁にとるようになった。

これから先加齢に伴う能力の低下はどんどん進むだろう。
あったはずの能力を失っていくばかりの日々。
若い日に想像していたほどそれは悲劇的なばかりのことではなさそうな気がしている。

案外人は順応力があるものなんだな。
なくした能力にいつまでも未練を持っていても仕方がない。
なければないで工夫してやっていくしかない。

たぶんこれも、若い日のような感受性ではなく、さび付いて鈍化することで思い至れる境地なのかもしれないけど。
さすれば、人間というのは肉体もそうだけれど加齢にともなうあれこれはうまくできているものなんだなぁ。


30年後、いまのいろんなことを忘れても私は生きてるのかな。
今は、忘れるはずがないと思っているようなことをすっかり忘れて。
そんなんさびしい話やなあって思ってるのは今の感受性で、全部忘れて穏やかに微笑んで生きてるのかな。

それも悪くないのかな。



なんて思ったことでした。
このGW中の最大の収穫は「おいピータン」でした。

ヒカリの部屋にやたらとごろごろ落ちていた「おいピータン」。 


最初は名古屋ローカルのタウン雑誌の一種かなって思ったり、あるいは時代遅れのクッキング・ブック?とか思ってましたけろ、それ以上の興味は持てず掃除中につき、そのやたらごろごろ落ちている「おいピータン」を拾ってはしかるべき場所に片付けたいけど片付かない、もー、なんなの、この邪魔な「おいピータン」!とか思ってました、そんな「おいピータン」。
それが私のGW中の最大の収穫になろうとは、あの時の私には想像だにできなかったことでした。

約1時間後。
掃除に疲れてちょっと横になった隙を見計らって、ヒカリが「おいピータン」攻撃を仕掛けてきたわけです。
はじめは軽くかわしたのです。「お母さんは、まだ掃除中やし。アンタな、手伝えとは言わへんけど邪魔はせんといてくれる?」とか連休中すべてヒカリにささげつくしているお母さんタバスコは、もうここへきて切れかけている。
なお、ヒカリの攻撃とは、読んで欲しい本とかマンガを「読め読め」と押し付けてくることです。
攻撃をかわされると、ヒカリは案外にあかんたれでしょぼくれたりするので、お愛想程度に「おいピータン」のページをめくる。
それはマンガでした。
2ページほど読んだところで、ヒカリから「基本編」を手渡される。
基本編なるものがあった。

えっと、付き合いだして3ヶ月のアツアツの若いカップルがいて、明日からカレ(ヒロくん)の方は長期出張で(台湾)ー、名残を惜しんで「さびしいねー」「さびしいよー」とか言ってハダカで抱き合ってるのね。周囲に「C」って書いた小袋が3つ散乱してるのね。
「さびしいのは本当だけどちょっぴりうれしいって気持ちもあることがヒロくんに伝わりませんように」と女の子の心の声のセリフとして抱き合ってる二人のアップの絵の後ろのほうに浮かび上がっている。

ま、この辺はどなたにも心覚えのあるようなエピソードですね。恋人とのラブラブタイムはそりゃもう楽しいんだけど、やっぱ一人になる気楽さも捨てがたいよなー、おならも平気でできるしさーみたいな女の子のフランクな気持ちが綴られるわけです。

なかなか楽しいね、って読んでいるとヒカリが、「このカップルの話とちゃうねんで」という。

主人公はまだ登場していないらしい。


女の子の「やっぱ一人って気楽だなー」って日常が数ページにわたって綴られる、そのほんのひとコマに主人公「ピータン」初登場!
レンタルビデオ屋でトトロを借りるピータン。
女の子が、「あ、ピータンだ!」と気付く。

彼とよく行くラーメン屋にピータンは出没する。
二人でらーめんを食っていると、ピータンがその店にやってきて必ずピータンを注文する。だから「ピータン」。「ピータン」は「ピータン」であることを知らない。

ピータンは、若いカップルから見たら太ってみっともないおっさんにしか見えない。


そんなピータンの、実はちょっといい男振りが語られているのが「おいピータン」なのでした。

ヒカリにお願いして一冊だけ借りて帰ってきました。


んとね、ちょっとねピータンに惚れてしまった。
だってねー、いい男なんですよ、ピータン。 

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ピータン。
ええ男!
となりは、カノジョの渡辺さん。





なんか、恋のはじめのような気分だなァ。

ピータンのこともっと知りたい。

プロフィール
HN:
タバスコ
年齢:
67
性別:
女性
誕生日:
1956/05/26
職業:
兼業主婦
趣味:
広範
自己紹介:
おもろいおばはん
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