だけど人間は甘い
最近はなんでもすぐに忘れていく。
若いころ、母親のもの覚えが自分よりも劣っているのは、母の忙しさのせいなんだろうと思っていた。
20歳の私は私のことだけ考えていればよくて、母はそうはいかない。
テレビで面白いタレントが出てくればその名前はいやでも覚えてしまうものなのに、同じように見ていた母はそうではないらしいことをそのように理解した。自分のことだけに注意をしているわけにはいかない生活って、つまらなそうだな、なんて、おばかな20歳の私は考えたりした。
20歳の私が何かの折にふとそんなことを考えたことがあったな、といまふと思い出しているだけ。
52歳の私はどんどん忘れていく。
こんなこと忘れるわけがないと、聞いたその瞬間は確信しているようなことでも一日すぎればすっからかんに忘れていたりする。
母も加齢によって忘れっぽくなっていたのか。なんてことを今ごろ気がついたりしている。
脳の高度機能障害っていうの?
どんな名称がついているのか忘れたけど(忘れっぽいからしゃあない)事故や病気で脳の一部が損傷を受けることで起きる複雑な記憶障害の話をずいぶん以前にNHKのドキュメント番組で見たことがあった。
ある男性は、交通事故で脳に重大なダメージを受け新しい記憶ができなくなるという障害に見舞われる。5秒後には忘れてしまう。
その男性にインタビューしているんだけれど、答えている途中で、「えっと何の話をしていましたっけ?」とその男性は何度か聞き返してきたりする。知能が低下しているわけではない。もともとその男性は知的にはすぐれた人(学者か学者を目指して勉強中だったかそういう人)だったので、インタビューへの答え方は的確だし論理的だし話し方も知的であることは十分にわかる。なのに少し話が途切れると、「えっと何の話をしていましたっけ?」とわからなくなるらしい。
それを見ていたのは多分40代の中ごろのことだったと思うんだけれど、私は今ほど忘れっぽくはなく、「まあ、なんて悲劇的な事態にこの人は陥ってるのだろう」とひどくお気の毒に思った。こんな状態の自分をこの先どうやってこの人は受け入れて生きていくのだろう・・・他人事ながら暗澹とした気持ちになった。けれど、その男性は、メモを取る、人との会話を録音するなどの工夫をしてなんとか日常生活を送っていた。彼の日常はそんなに悲劇的ではなかった。
そして最大の課題である就職についても、彼はある職業を得ることができる。それは家具職人。連続性のある作業ならできることを彼は自分の能力の中から見つけ出し、籐家具の籐を編むという仕事を得るわけ。
最近物忘れが著しい自分に気がついて、あっちゃーと思うとき、10年近く前のテレビの中で見た男性のことを思い出す。
もちろん彼の身に降りかかったことと同じに考えるわけにはいかないんだけれど、忘れても生きていけるもんなんやなァって思うことはある。
もちろん忘れて大変な目に遭うこともあるから、気をつけなくちゃならない。最近はメモを頻繁にとるようになった。
これから先加齢に伴う能力の低下はどんどん進むだろう。
あったはずの能力を失っていくばかりの日々。
若い日に想像していたほどそれは悲劇的なばかりのことではなさそうな気がしている。
案外人は順応力があるものなんだな。
なくした能力にいつまでも未練を持っていても仕方がない。
なければないで工夫してやっていくしかない。
たぶんこれも、若い日のような感受性ではなく、さび付いて鈍化することで思い至れる境地なのかもしれないけど。
さすれば、人間というのは肉体もそうだけれど加齢にともなうあれこれはうまくできているものなんだなぁ。
30年後、いまのいろんなことを忘れても私は生きてるのかな。
今は、忘れるはずがないと思っているようなことをすっかり忘れて。
そんなんさびしい話やなあって思ってるのは今の感受性で、全部忘れて穏やかに微笑んで生きてるのかな。
それも悪くないのかな。
なんて思ったことでした。
若いころ、母親のもの覚えが自分よりも劣っているのは、母の忙しさのせいなんだろうと思っていた。
20歳の私は私のことだけ考えていればよくて、母はそうはいかない。
テレビで面白いタレントが出てくればその名前はいやでも覚えてしまうものなのに、同じように見ていた母はそうではないらしいことをそのように理解した。自分のことだけに注意をしているわけにはいかない生活って、つまらなそうだな、なんて、おばかな20歳の私は考えたりした。
20歳の私が何かの折にふとそんなことを考えたことがあったな、といまふと思い出しているだけ。
52歳の私はどんどん忘れていく。
こんなこと忘れるわけがないと、聞いたその瞬間は確信しているようなことでも一日すぎればすっからかんに忘れていたりする。
母も加齢によって忘れっぽくなっていたのか。なんてことを今ごろ気がついたりしている。
脳の高度機能障害っていうの?
どんな名称がついているのか忘れたけど(忘れっぽいからしゃあない)事故や病気で脳の一部が損傷を受けることで起きる複雑な記憶障害の話をずいぶん以前にNHKのドキュメント番組で見たことがあった。
ある男性は、交通事故で脳に重大なダメージを受け新しい記憶ができなくなるという障害に見舞われる。5秒後には忘れてしまう。
その男性にインタビューしているんだけれど、答えている途中で、「えっと何の話をしていましたっけ?」とその男性は何度か聞き返してきたりする。知能が低下しているわけではない。もともとその男性は知的にはすぐれた人(学者か学者を目指して勉強中だったかそういう人)だったので、インタビューへの答え方は的確だし論理的だし話し方も知的であることは十分にわかる。なのに少し話が途切れると、「えっと何の話をしていましたっけ?」とわからなくなるらしい。
それを見ていたのは多分40代の中ごろのことだったと思うんだけれど、私は今ほど忘れっぽくはなく、「まあ、なんて悲劇的な事態にこの人は陥ってるのだろう」とひどくお気の毒に思った。こんな状態の自分をこの先どうやってこの人は受け入れて生きていくのだろう・・・他人事ながら暗澹とした気持ちになった。けれど、その男性は、メモを取る、人との会話を録音するなどの工夫をしてなんとか日常生活を送っていた。彼の日常はそんなに悲劇的ではなかった。
そして最大の課題である就職についても、彼はある職業を得ることができる。それは家具職人。連続性のある作業ならできることを彼は自分の能力の中から見つけ出し、籐家具の籐を編むという仕事を得るわけ。
最近物忘れが著しい自分に気がついて、あっちゃーと思うとき、10年近く前のテレビの中で見た男性のことを思い出す。
もちろん彼の身に降りかかったことと同じに考えるわけにはいかないんだけれど、忘れても生きていけるもんなんやなァって思うことはある。
もちろん忘れて大変な目に遭うこともあるから、気をつけなくちゃならない。最近はメモを頻繁にとるようになった。
これから先加齢に伴う能力の低下はどんどん進むだろう。
あったはずの能力を失っていくばかりの日々。
若い日に想像していたほどそれは悲劇的なばかりのことではなさそうな気がしている。
案外人は順応力があるものなんだな。
なくした能力にいつまでも未練を持っていても仕方がない。
なければないで工夫してやっていくしかない。
たぶんこれも、若い日のような感受性ではなく、さび付いて鈍化することで思い至れる境地なのかもしれないけど。
さすれば、人間というのは肉体もそうだけれど加齢にともなうあれこれはうまくできているものなんだなぁ。
30年後、いまのいろんなことを忘れても私は生きてるのかな。
今は、忘れるはずがないと思っているようなことをすっかり忘れて。
そんなんさびしい話やなあって思ってるのは今の感受性で、全部忘れて穏やかに微笑んで生きてるのかな。
それも悪くないのかな。
なんて思ったことでした。
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。