だけど人間は甘い
今夜、私の住んでいる田舎町で風間杜夫のお芝居があった。
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この記事中の第一部から第三部までの一挙上演は4年前の7月に京都で見たのだ。
公演の1週間ほど前にそのことを知り、「ぎょえー」となった。
なぜなら公演のある7月17日の翌日に私は京都へ行くことになっていたのだ。(父の7回忌で)
こりゃ困ったな。
まったく全然行けそうにないならそれはそれであきらめもするが、たった一日のタイミングのずれというのは返って口惜しさが増すではないか。
何とかならないもんかねぇ。
ってことで何とかしたわけ。
ダンナといっしょに帰省する予定だったのを私だけ一足先に京都入りすればいいんじゃーんってことで。
7月17日というのは、祇園祭の山鉾巡行の日でもある。
そして、私は知らなかったんだけど山鉾巡行とは別の催し、八坂神社のお神輿のお練りもあるんだって。
と、それを教えてくれたのはクラス会bbsで、「風間杜夫のお芝居を見に京都へ帰るぞ」っていう私の書き込みを読んだW君。
W君はどういうわけかその神輿を担ぐことになっているというのだ。
そして、「タバスコが芝居を見終わって出てきたころに南座の前を通る予定やで」って。
南座は祇園、八坂神社のすぐ近くにあるのだ。そこが風間杜夫一人芝居の公演場所なのだ。なんつうめぐり合わせ!
その日、2004年7月17日、お芝居が終わって南座を出て四条通で待っていると、神輿がやってきた。
Wがいた!いたけど神輿は担いでなかった。
もう年寄りなのでただ付いて歩いてるだけやった。
法被、地下足袋姿で私のそばまで来て、「タバスコ、おまえも付いて来い」と言うので神輿のあとを付いていく。
神輿は、花見小路から三条、木屋町界隈を練り歩き、最終的には新京極四条のお旅所まで行くらしい。
Wは神輿の人だかりから離れて、まずは三条のアイリッシュパブへ私を誘う。
Wは法被姿のままアイリッシュビールを軽く2杯ほど飲んでまた神輿に戻る。次に木屋町で「ピエ・ノワール」へ。
「ピエ・ノワール」はおしゃれなシャンパン・バーなのだ。
いくらなんでも法被姿では・・・と私はお店の人に、「ツレがこんな格好してますけど」と断わりをいれたら、店長さんらしき人に「大歓迎です」とゆってもらう。ハハハ。やっぱり祭りは無礼講なんやね。
シャンパンを2杯ほど飲んで慌てて神輿に戻りあとはお旅所まで。
誠に珍しい経験をさせてもらった。大きなおまけのついた観劇経験と相成った。
それが4年前の風間杜夫一人芝居三部作一挙上演観劇の顛末であったわけです。
そして、今夜、あれから4年たって、10数年間に及ぶ風間杜夫一人芝居シリーズが一応完結を迎えることになった。
団塊世代の牛山明の心の旅路ともいえるこの長い物語の旅が終わるのだ。
それを、意外にもこんな田舎町の小さなホールで見られることになったのも不思議なめぐり合わせのような気がしないでもない。
今夜は何のおまけもついてなかったけどね、おもしろかったです。
田舎の小ホールにどれくらいの人が見に来ていたのか。
5、600人くらい?
その中で多分私が一番このお芝居を堪能したと思う。
だって、俵星玄蕃やもん。
カラオケの得意なサラリーマン牛山明(特に三波春夫先生の「俵星玄蕃」をキンキラ衣装で歌う場面が圧巻!)はシリーズ第一部で、ちょっとしたトラブルから会社を辞める羽目になり、町を彷徨っている間に記憶喪失になる 。
二部では記憶を失った牛山の病院での生活。
いろいろあって、牛山明の放浪が始まる。文字通り旅回り一座に拾われそこで役者稼業をしながら日本中を放浪する生活。
そこへ息子が訪ねてきて、家族との細い交流が復活、しかし家には戻ろうとしないというところが描かれているのが第三部だった。
今夜の芝居はその続編で、一座の座長の妻と駆け落ちしてしまう牛山、それが四部、座長の妻と別れたあと東京に戻りホームレスの男に拾われ同居するもその段ボールハウスが強制撤去され・・・・
場面が変わると牛山は自分の家のリビングで妻と向き合っている(とはいえ一人芝居なので一人語り)。
折りしも今日は娘の結婚式らしい。テーブルには娘からの手紙。
妻は結婚式場に向かうべく牛山をリビングにひとり残し出かける。
所在なげに家の中を見回す牛山。
戸棚の上に放置されたボストンバッグを見つける。
埃を払って中を開ける。そこから出てきたのはキンキラの衣装。
訝りながらもつい袖を通す牛山。
娘からの手紙を読んでいるうちに何かが牛山の脳裏を掠める。
彼の口をついて出てくるのは・・・
涙をためて振り返る
そば屋の姿を呼びとめて
せめて名前を聞かせろよと
口まで出たがそうじゃない云わぬが花よ人生は
逢うて別れる運命とか
思い直して俵星
独りしみじみ呑みながら
時を過ごした真夜中に
心隅田の川風を
流れてひびく勇ましさ
一打ち二打ち三流れ
あれは確かに確かにあれは
山鹿流儀の陣太鼓・・・
次第に記憶が戻ってくる牛山。
あとはもう止まらぬ勢いで俵星玄蕃の熱唱へなだれ込むのだった!
吉良の屋敷に来てみれば、今、討ち入りは真最中、
総大将の内蔵之助。見つけて駆け寄る俵星が、
天下無双のこの槍で、お助太刀をば致そうぞ、
云われた時に大石は深き御恩はこの通り、厚く御礼を申します。
されども此処は此のままに、
槍を納めて御引上げ下さるならば有り難し、
かかる折りも一人の浪士が雪をけたてて
サク、サク、サク、サク、サク、サクー、
『先生』『おうッ、そば屋か』
4年前の南座でもそうやったけど、また今夜もいっしょに歌てしもたもんなぁ(あ、もちろん心の中で唱和しただけ)。
こんなん風間杜夫と(完全)唱和できるのは私だけでしょうとも。
やっぱりお芝居はおもしろい。
お芝居がおもしろいというより芝居を見るというテンションが好きなんかな。
思い返すと、4年前の7月17日はWと神輿もろともへめぐった花見小路から三条、木屋町、四条までの全部がお芝居の中での出来事みたいなもんやったな。
田舎の片隅でほとんど地味に暮らしてる主婦タバスコの晴れ舞台やった。
お芝居を見るというのはどこかそういうところがある。
芝居を見に行く私が特別の私になれる、そんな感じかな。
ほとんど地味に田舎で暮らすタバスコに、たまにハレに日がやってくる。
それはお芝居とともにやってくる。
お芝居を見に行く私はひととき自分以外の何ものかを演じてる気分になれる、のかな。
それが観劇する私。
52歳になって、多分もうそんなに目覚しいこともないねんよね。
たまぁに羽目はずして、おばはん以外の私になってみたい日もあるやんかいさ。
それくらい許したって。
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この記事中の第一部から第三部までの一挙上演は4年前の7月に京都で見たのだ。
公演の1週間ほど前にそのことを知り、「ぎょえー」となった。
なぜなら公演のある7月17日の翌日に私は京都へ行くことになっていたのだ。(父の7回忌で)
こりゃ困ったな。
まったく全然行けそうにないならそれはそれであきらめもするが、たった一日のタイミングのずれというのは返って口惜しさが増すではないか。
何とかならないもんかねぇ。
ってことで何とかしたわけ。
ダンナといっしょに帰省する予定だったのを私だけ一足先に京都入りすればいいんじゃーんってことで。
7月17日というのは、祇園祭の山鉾巡行の日でもある。
そして、私は知らなかったんだけど山鉾巡行とは別の催し、八坂神社のお神輿のお練りもあるんだって。
と、それを教えてくれたのはクラス会bbsで、「風間杜夫のお芝居を見に京都へ帰るぞ」っていう私の書き込みを読んだW君。
W君はどういうわけかその神輿を担ぐことになっているというのだ。
そして、「タバスコが芝居を見終わって出てきたころに南座の前を通る予定やで」って。
南座は祇園、八坂神社のすぐ近くにあるのだ。そこが風間杜夫一人芝居の公演場所なのだ。なんつうめぐり合わせ!
その日、2004年7月17日、お芝居が終わって南座を出て四条通で待っていると、神輿がやってきた。
Wがいた!いたけど神輿は担いでなかった。
もう年寄りなのでただ付いて歩いてるだけやった。
法被、地下足袋姿で私のそばまで来て、「タバスコ、おまえも付いて来い」と言うので神輿のあとを付いていく。
神輿は、花見小路から三条、木屋町界隈を練り歩き、最終的には新京極四条のお旅所まで行くらしい。
Wは神輿の人だかりから離れて、まずは三条のアイリッシュパブへ私を誘う。
Wは法被姿のままアイリッシュビールを軽く2杯ほど飲んでまた神輿に戻る。次に木屋町で「ピエ・ノワール」へ。
「ピエ・ノワール」はおしゃれなシャンパン・バーなのだ。
いくらなんでも法被姿では・・・と私はお店の人に、「ツレがこんな格好してますけど」と断わりをいれたら、店長さんらしき人に「大歓迎です」とゆってもらう。ハハハ。やっぱり祭りは無礼講なんやね。
シャンパンを2杯ほど飲んで慌てて神輿に戻りあとはお旅所まで。
誠に珍しい経験をさせてもらった。大きなおまけのついた観劇経験と相成った。
それが4年前の風間杜夫一人芝居三部作一挙上演観劇の顛末であったわけです。
そして、今夜、あれから4年たって、10数年間に及ぶ風間杜夫一人芝居シリーズが一応完結を迎えることになった。
団塊世代の牛山明の心の旅路ともいえるこの長い物語の旅が終わるのだ。
それを、意外にもこんな田舎町の小さなホールで見られることになったのも不思議なめぐり合わせのような気がしないでもない。
今夜は何のおまけもついてなかったけどね、おもしろかったです。
田舎の小ホールにどれくらいの人が見に来ていたのか。
5、600人くらい?
その中で多分私が一番このお芝居を堪能したと思う。
だって、俵星玄蕃やもん。
カラオケの得意なサラリーマン牛山明(特に三波春夫先生の「俵星玄蕃」をキンキラ衣装で歌う場面が圧巻!)はシリーズ第一部で、ちょっとしたトラブルから会社を辞める羽目になり、町を彷徨っている間に記憶喪失になる 。
二部では記憶を失った牛山の病院での生活。
いろいろあって、牛山明の放浪が始まる。文字通り旅回り一座に拾われそこで役者稼業をしながら日本中を放浪する生活。
そこへ息子が訪ねてきて、家族との細い交流が復活、しかし家には戻ろうとしないというところが描かれているのが第三部だった。
今夜の芝居はその続編で、一座の座長の妻と駆け落ちしてしまう牛山、それが四部、座長の妻と別れたあと東京に戻りホームレスの男に拾われ同居するもその段ボールハウスが強制撤去され・・・・
場面が変わると牛山は自分の家のリビングで妻と向き合っている(とはいえ一人芝居なので一人語り)。
折りしも今日は娘の結婚式らしい。テーブルには娘からの手紙。
妻は結婚式場に向かうべく牛山をリビングにひとり残し出かける。
所在なげに家の中を見回す牛山。
戸棚の上に放置されたボストンバッグを見つける。
埃を払って中を開ける。そこから出てきたのはキンキラの衣装。
訝りながらもつい袖を通す牛山。
娘からの手紙を読んでいるうちに何かが牛山の脳裏を掠める。
彼の口をついて出てくるのは・・・
涙をためて振り返る
そば屋の姿を呼びとめて
せめて名前を聞かせろよと
口まで出たがそうじゃない云わぬが花よ人生は
逢うて別れる運命とか
思い直して俵星
独りしみじみ呑みながら
時を過ごした真夜中に
心隅田の川風を
流れてひびく勇ましさ
一打ち二打ち三流れ
あれは確かに確かにあれは
山鹿流儀の陣太鼓・・・
次第に記憶が戻ってくる牛山。
あとはもう止まらぬ勢いで俵星玄蕃の熱唱へなだれ込むのだった!
吉良の屋敷に来てみれば、今、討ち入りは真最中、
総大将の内蔵之助。見つけて駆け寄る俵星が、
天下無双のこの槍で、お助太刀をば致そうぞ、
云われた時に大石は深き御恩はこの通り、厚く御礼を申します。
されども此処は此のままに、
槍を納めて御引上げ下さるならば有り難し、
かかる折りも一人の浪士が雪をけたてて
サク、サク、サク、サク、サク、サクー、
『先生』『おうッ、そば屋か』
4年前の南座でもそうやったけど、また今夜もいっしょに歌てしもたもんなぁ(あ、もちろん心の中で唱和しただけ)。
こんなん風間杜夫と(完全)唱和できるのは私だけでしょうとも。
やっぱりお芝居はおもしろい。
お芝居がおもしろいというより芝居を見るというテンションが好きなんかな。
思い返すと、4年前の7月17日はWと神輿もろともへめぐった花見小路から三条、木屋町、四条までの全部がお芝居の中での出来事みたいなもんやったな。
田舎の片隅でほとんど地味に暮らしてる主婦タバスコの晴れ舞台やった。
お芝居を見るというのはどこかそういうところがある。
芝居を見に行く私が特別の私になれる、そんな感じかな。
ほとんど地味に田舎で暮らすタバスコに、たまにハレに日がやってくる。
それはお芝居とともにやってくる。
お芝居を見に行く私はひととき自分以外の何ものかを演じてる気分になれる、のかな。
それが観劇する私。
52歳になって、多分もうそんなに目覚しいこともないねんよね。
たまぁに羽目はずして、おばはん以外の私になってみたい日もあるやんかいさ。
それくらい許したって。
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