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私の実家は京都市の西部にある。
南北の位置でいうと市内を東西に貫く大通りである四条と五条の中間くらい。
バスに乗るためにはどちらかの大通りに出ることになる。どちらにも徒歩7,8分かかる。
一本だけ家のすぐ西にある中通りを走るバスがあった。「47番 動物園・銀閣寺行き」。
このバスは、五条通から南北に走る中通りを経由して四条通に出てそのまま四条を東進、
河原町通で北上し、二条通で右折、再び東に進み岡崎公園、動物園前を経て東山の銀閣寺へ至るといういわば京都市の西部から東の端までの結構な距離を辿る路線バスだった。

小学生の私は夏休みにこのバスに乗って踏水会にも通った。(踏水会というのは、今でいうスイミングスクールみたいなもん。琵琶湖疎水のきちゃない水を引き込んだ天然の巨大なプール?を擁した巨大なスイミングスクール。海のない京都の小学生のほとんどは踏水会に通って水泳を習得したのではなかろうか)
岡崎にある踏水会までの所要時間は50分くらいあった。途中四条河原町という繁華な市街地を通過するので渋滞の分も含めるとそれぐらいの時間がかかるのだ。当時の私はやや車酔いする傾向があり、50分もバスに揺られると気持ち悪くなることがあった。気持ち悪くて座席から立ち上がれず降りる停留所を乗り過ごしてしまったことが2回ほどあった。
夏休みの、猛暑の京都の、まだ冷房設備のない市バスの50分は小学生には辛かったなぁ。

中学生になった私はこの47番のバスで通学することになった。
ときどき中学校前の停留所を乗り過ごしてしまうことがあった。停留所3つ分だから車酔いする間もない距離なのに。学校サボりたくてうっかりではなく、ちゃっかりと乗り過ごしてやった。
登校拒否中学生を乗せてそのままバスは東に向かう。朝の四条河原町を抜け、踏水会のそばを横目に、動物園前も通り過ぎて銀閣寺前に到着する。終点。学校サボった中学生は47番の市バスに運ばれてきただけ。人目を避けて誰もいなさそうな道を選んで山を登っていく。バスに酔ってややふらふらしながら。そして誰もこなさそうなお寺を見つけた。
銀閣寺のすぐそばにあるのに観光客の姿はひとつもない。山陰のせいか晴れているのに湿気ている風情のそのお寺で、学校に行きたくなかったある日のタバスコが身を潜めていたということ。一度ではない。何度くらいだろうか。季節はいつだったのだろうか。暑かったような気がする。もみじがきれいだった日もあるような気がする。雨の日もあったような気がする。十回くらいだろうか。なんで学校に行きたくなかったのだろう。家族にはばれなかったのだろうか。もう40年近くも前のことなので全部あやふや。
そんなことはもしかしたら私の空想の中の出来事なのかもしれないと思えばそう思えなくもないほどあやふやな、記憶の森の深いところにかすんでしまうほどの記憶。
そのお寺の名前が「法然院」と知ったのは山門のかすれた墨の文字を読んでのことなのか、ずっと後から知ったのか。そこに谷崎潤一郎の墓所があるのを知ったのは、大学時代のことだったか。「え?そんな有名な人のお墓があるの?あそこは私だけの秘密の隠れ場所やのに」と驚いたりした。
大学時代には地方から来た友人を何度か、「私だけのとっておきの京都案内」と称して法然院に連れて行ったことがあった。恋人っぽい男の子(岩手出身)を連れて行ったこともある。近くの哲学の道もあの頃はまだ静かだった。
その後は法然院とは縁が切れてしまう。結婚して京都を離れてしまえばもう訪れる機会は皆無のようなそんな場所になってしまった。47番のバスも知らん間になくなっていた。

そのまま時間だけがどどーんと流れて、再び法然院にめぐり合ったのは、高校のクラス会bbsで。
法然院の襖の引き手は僕の親父の仕事です、とbbs上で挙手して発表するN君。
私が知らなかっただけで法然院は知る人ぞ知る名刹だった(らしい)。そこは、不良中学生のただの隠れ場所になるような寺ではなかった。(勝手に私のプライベート・テンプルと呼んでました。友人にもそう紹介してました。)
N君のお父さんはそんな名刹の仕事をする職人さんやったんですね。
あやふやな記憶の森のその奥のかすんだその先に法然院のたたずまいを呼び起こしながら、いくら呼び覚まそうとしても襖の映像は見えてこない。登校拒否中学生はせっかくの名刹でただぼんやり時間をつぶしていただけ。なんだか学校に行きたくなくて、誰にも知られず時間をつぶす場所にそこを選んだだけでした。
13歳の私はなにを考えてたんでしょうね。目の前のしんどいことから逃げたかったんでしょうね。なにがしんどかったんでしょうねえ。もう何も思い出せないけど。

あそこにクラスメートのお父さんの痕跡があったのか。自分の日常の場所からはまったく隔絶した場所やと思っていた。もし知ってたら、そんな場所には行かなかったやろな、と私はふと思う。


N君の発言を聞いたのは二年くらい前になります。
機会があったら法然院訪れてみよ、と思いながらまだかなわずにいる。

この連休中に法然院に行ってきたで、N君のお父さんの作った襖の引き手見てきたで、とbbsで報告していたW君。

そして私のもとにW君からその際の写真が送信されてきた。
「Nに写真送ってないからタバスコのブログでこの写真アップしといてくれ。はよ してや」というえらそうな指令とともに。
私のブログは伝言板か~い! 

W君には実はひとつ借りがあるタバスコ。
指令を無視するわけにはいかない事情があるのだ。
W君、アップしたで。
N君、見てくれた?
写真だけちゃうで、法然院をテーマにしたエッセイ仕立てやで。
どやさ、この辺で勘弁したって。文句ある? 
605aa4d7.jpeg

法然院の襖絵
堂本印象作



953208e3.jpegこれでええの?

N君のお父さんの職人の技
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年齢:
67
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女性
誕生日:
1956/05/26
職業:
兼業主婦
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広範
自己紹介:
おもろいおばはん
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