だけど人間は甘い
やずやの発芽十六雑穀のコマーシャルにはいくつかバージョンがあるけど、「おかあさんの味」がコンセプトになってるらしい。
お母さんが家族の健康を考えておいしいものを作る。
その有難さとか懐かしさとか恋しさを刺激するようなイメージ。
そのコマーシャルの一つを見ていて、それは朝お母さんがおにぎりを作って、子どもがお昼にそのおにぎりを食べてるってストーリーなんだけど、お母さんのにぎるおにぎりはおいしい、冷えても温かい、とかなんとかそんなナレーションが大滝秀治の声で入る。
その画像を見ていて、ふうううっと気が遠くなるような感覚があって、私はなにやら夢を見てる。
「私も私の子どもにおいしいおにぎりを作るお母さんになりたいもんや」とか思う。「子どもにおいしいもんを食べさせるお母さんである未来の私」を夢見てる。
で、「あれ?」って思って、もうすっかり子育ての済んでしまった51歳の私に立ち戻る。
ヒカリにおいしいもんを作ってやった時間も過ぎてしまってることに気がつく。
なんや、私、とか苦笑する。
そんなことないです?
自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなる感覚。
80歳の私が、過去のすっかり過ぎてしまった自分を、まだ見ぬ未来の自分の姿のように錯覚しているかもしれない。それはもう年をとった人特有のボケの中で。
そして、目の前にいるヒカリに、「ヒカリはどこに行ったんやろか」とか聞いてる。
もっと別の人の名前を出して、「その人はもうとっくに死んではる」とかヒカリに言われて、ふっと80歳である自分に立ち戻ったりする瞬間のことを想像したりした。
そのとき私は泣くんやろか。
お母さんが家族の健康を考えておいしいものを作る。
その有難さとか懐かしさとか恋しさを刺激するようなイメージ。
そのコマーシャルの一つを見ていて、それは朝お母さんがおにぎりを作って、子どもがお昼にそのおにぎりを食べてるってストーリーなんだけど、お母さんのにぎるおにぎりはおいしい、冷えても温かい、とかなんとかそんなナレーションが大滝秀治の声で入る。
その画像を見ていて、ふうううっと気が遠くなるような感覚があって、私はなにやら夢を見てる。
「私も私の子どもにおいしいおにぎりを作るお母さんになりたいもんや」とか思う。「子どもにおいしいもんを食べさせるお母さんである未来の私」を夢見てる。
で、「あれ?」って思って、もうすっかり子育ての済んでしまった51歳の私に立ち戻る。
ヒカリにおいしいもんを作ってやった時間も過ぎてしまってることに気がつく。
なんや、私、とか苦笑する。
そんなことないです?
自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなる感覚。
80歳の私が、過去のすっかり過ぎてしまった自分を、まだ見ぬ未来の自分の姿のように錯覚しているかもしれない。それはもう年をとった人特有のボケの中で。
そして、目の前にいるヒカリに、「ヒカリはどこに行ったんやろか」とか聞いてる。
もっと別の人の名前を出して、「その人はもうとっくに死んではる」とかヒカリに言われて、ふっと80歳である自分に立ち戻ったりする瞬間のことを想像したりした。
そのとき私は泣くんやろか。
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