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私は、生理痛に長年苦しんでまいりました。

中学時代は、毎月学校で倒れていました。
痛みを我慢している間にぼうっとして倒れてしまうのです。

バッタリ倒れてしまうときもあったし(朝礼のときバッタリ倒れた私を男性教諭がヒイヒイ言いながら抱き上げてかかえて保健室へ連れて行った様子はおもしろかったそうです←友人談)、そうなる前に自分で保健室のベッドに倒れこむ場合もありました。

数年周期で特にひどい時期もあり、比較的楽に過ごせた数年もあったような気がしますが概ね生理痛は、私にとっての難題であったわけです。

出産の折の陣痛は、あれは生理痛の大親分みたいなものでしたね。

どちらも痛みが波状的にやってくる。

その波は引いてしまうとウソのように全く痛くなくなるんだけれど、ある時間を置いて必ず次の波が来る。
寄せてくる痛みの波のうねりをただじっとこらえて待ち、その波はどんどん膨れ上がってやがて頂点が来て、波頭がくだけ、そして引いていく。

違いは、陣痛の場合はその波の打ち寄せる間隔がどんどん縮まっていき、生理痛は間遠になっていくわけです。

陣痛の痛みを私は分娩室の隣の予備室のような部屋でひとりで耐えていました。

実家に帰省して出産したんだけど、そのころ両親は商売に忙しかったので、いつ分娩が始まるかもしれない娘のそばに付きっきりでいられるような余裕はなかったのでしょう。ま、誰かがそばにいたからといってちっとも助けになるとは思わなかったけれど。

暗鬱な空模様のその日のことを私は妙に忘れがたくいる。
風の強い日で、風の音を聞いていた。
あと、有線から流れる軽音楽のこと。一日中聞いているとそれもまたある周期で同じ曲が何度もかかる。

私は、出産に対してあまり歓びをもってその日を迎えていたわけではなかった(とにかく子供嫌いだったのだ。でも、子供は欲しくない、と主張するほどの論理的根拠があるわけではないので、妊娠したからには出産という事態を不承不承受け入れていたような心持)。
暗鬱な空模様というのは私の心象によるのかもしれない。
(産んでみるとこれがチョー可愛くて、その子に夢中になってしまうばか母人生については、それはまた別のお話)

そういう分娩直前の、陣痛の波の到来をじっと待っていた一日を覚えている。
多分、毎月生理痛に見舞われるたび、その大親分のことを思い出すことによって、ヒカリが25歳となるこの年月の間、その一日のことを忘れがたくいるということなのかもしれない。



ここ10数年は、生理痛はそんなにひどくはなかったんだけれど、この数年、月によってはひどく痛くなることもある。もうバッタリ倒れるほどということはないけれど。

で、今朝もその痛みに襲われている。

ダンナは、ラストスパートちゃうか、などという。

ラストスパート、それはタバスコの女としての人生の、っちゅうことかな。



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1時に高松イオンに到着。
買物が終わったのが、4時10分だった。

その間タバスコはお茶いっぱい飲まずに歩き回ったのだった。

そして、改めて自分が方向音痴であることを知ったのだった。

お店に入って出て来たら、どっちの方向から自分が来たのかがわからない。
さっき入った店にまた逆戻りしてるじゃないか。

ということを何度も繰り返すので無駄な動きが多かった。確かに無駄に歩き回ってしまった。

1階売り場から見始めて3階まで、一通りチェック、及び候補作品(作品ちゃうし)を絞る。

2巡め。
候補作品(作品ちゃうし)を試着してみる。

タバスコは試着は念入りである。
試着しているタバスコに話しかける店員は追い払われるのである。
試着過程にはいろいろな思いが交錯するのである。
持っているアレ(インナー)と組み合わせると良いかも、とか。
で、一旦試着を終えてから、店内に、「アレ」に近い形のインナーを探してハンガー上で組み合わせてみたりするのである。

襟の重なり具合とか、開き具合とか念入りに精査したいのである。
だから、ここでごちゃごちゃ口をはさまれるのはすごく迷惑なのだ。雑念が入る。

でも、タバスコは51歳である。
今まで数々の買物現場で、店員の邪魔の結果雑念が生じ、精査に支障をきたして買物に失敗した経験がいくつもあるのだ(まとわりつく店員の押しの強さに負けて、購入を決定して後からひどく後悔したりとか)。
51歳となったいま、過去の苦い経験がタバスコを鍛え上げたのである。
そんじょそこらの店員の、「とってもよくお似合いですよーー。」などという嘘っぱちなセールストークにも全く動じない強き心が育っているのだ。

やはり人間亀の甲より年の功である。


結果、ジャケット1着、ふんわり素材のブラウス2枚お買い上げ。 

このジャケット購入に力が入ったのだった。
少しお高めであったのであるが、なんと「5割引コーナー」に打ち捨てられていたのだ。
お高めなので半額でも、貧乏主婦タバスコのお買い上げ決断にはそれなりの時間を要したわけである。

ここで、半額に惑わされてはいないか、バーゲン会場の熱気に浮き足立ってはいないか、という内省も最終決定直前には必要なことである。

この最終的なチェックをかいくぐってめでたくお買い上げに至ったのが上記の3点であらしゃいます。

その間に脱落していくもの幾多でありました。

なかなか賢いお買物ができました。



なお、ネット友達のうらないしさんが先日購入し、満足されたというTHE BODY SHOPの良い香りのボディローションも手に入れました。

一番先に入った店がここでした。

で、店内のあらゆる商品の臭いを嗅ぎまわっているうちに、鼻が馬鹿になっちゃったんです。

親切に付き合ってくれた店員さん(こういう場合の店員さんは邪険にはしない。必要な情報提供者であるから)に、「出直してきます」と言って別の買物に向かった。
「出直してくる」っていうのは買う気のない客の常套句かもしれないけど、タバスコは本当に出直して馬鹿になった嗅覚の甦りを図ったのである。ちゃんと最後にまたTHE BODY SHOPに戻りました。
結局、うらなしさんと同じのピンクグレープフルーツになっちゃいました。えへっ。


お昼ごはんも食べずに歩き回ったタバスコ。
おなかぺこぺこ。

でも、レストランに入ってる時間がない!
6時までに帰宅しなきゃ。

で、パン屋さんで明太子フランスと焼きそばパンとクリームパンとホットドッグとチーズパンを買う。

帰りの車内で明太子フランスとホットドッグを召し上がりました。

おばあちゃんの晩御飯を焼きそばパンとクリームパンで済ませた鬼嫁でした。


なお、夕べお風呂上りにボディローションを早速両腕にぬって、ダンナに「ほらほらええにおいやろー」って言うたら、臭い、と言われちゃったけど別にダンナのために買ったわけじゃないしかまへんもーん。


あああああ、楽しいショッピングの一日だった!

                   完



この春にグランドオープンした高松イオンという巨大ショッピングセンター。

オープン時にヒカリと繰り出して、結構気に入りました。

いくつか、趣味の合うお店も見つけたし。

で、サマーバーゲンを狙ってたんです。

で、昨日の朝のチラシに「本日よりビッグビッグビッグバーゲン!」

ってことで繰り出しました。
今回はヒカリ抜き。

場所は、さぬき浜街道沿いにある。

ってことはタバスコがいつも高松に向かうときに利用する国道11号ではなく、海沿いの道を走ることになる。

なのに、いつもの癖で、ハッと気がついたときには11号をひた走っていたタバスコ。ばかばかばか。

どこかで浜街道に移行しようか、このまま11号を走り続けたほうがロスが少ないのか・・・
移行するにしても、いくつかの移行ポイントのうちどこで移行するのがロスが少ないのか…(ガソリン高騰につき結構真剣に考えるタバスコ、節約主婦の鑑)

思い煩っているうちに結局かなり11号を進んでしまっていた。

もうここまで来たら11号を走り続けよう。

んで、わかり易い道(ダンナに教えてもらった)で、明らかに遠回りだけどそれで行くべし…で走っていたのであったが、前方に道が大きく180度に分かれるところがあって、なんとそこに大きな表示、「高松イオン、右16キロ、左12キロ」って書いてあるじゃん。
当然12キロのほうを選ぶんじゃないのか?
なんで右を回って16キロって表示まであるんやな、とややあやしい気持ちを抱きながら12キロの左を選ぶ。

選んですぐに思い出した!

そうだ、こっちだと一部有料の道路を走らねばならなかったのだーーーー

ガソリン代節約したつもりが、とんだ落とし穴があったぜ。
世の中、こういう小さな落とし穴の連続なんだよなー。

ちっ。

結局一番ロスの多い(距離的にも、金額的にも)方法でバーゲンに向かうことになったのだった。

つづく。

よその日記のレスを書いていて思い出したことなんだけど。

死顔ってことばで瞬時に思い出された映像があった。

大学時代の先輩の死顔。

綺麗にお化粧してもろてはった。

大学のクラブの先輩なんですけど、私一浪してたから年齢は一緒やったと思います。
20歳の死です。

とても小柄な人やったんです。身長が145センチくらい。

夜更けにトラックにはねられて、脳死状態やったんでしょうか。
3日間ほど身元不明のままで、下宿のおばさんが3日目にひょっとしてと警察に届け出てやっとわかった。


身長から小学生と間違われて身元判明に手間取ったらしいです。

東北(福島県?)から京都の大学に来てはったんです。

私ら(クラブの仲間)が病院に駆けつけたとき、まだご家族は着いてはらへんかったような気がします。

その後の記憶が曖昧なんですけど、何日間かそういう状態が続いたような気がします。
しずかに息を引き取られたのか、ご家族のつらい決断の結果だったのか、臨終が私たちに知らされました。そのとき病院の周辺で友だちとバカ話してました、タバスコは。

そのまま家につれて帰りたい、とのご家族の意向でした。
寝台車が用意できるまでの短い時間に、「京都で仲良くしていただいた皆さんにお別れさせてやりたい」とお母さんがおっしゃって、病院の好意もあったんでしょうね、霊安室で萩原さんの死顔に対面しました。まだ息を引き取られてそんなに時間が経っていなかったからか、頬はピンクでした。頬紅をつけてもらってはったのかなァ。萩原さんはもともと麻生祐未に似た華奢な感じの美人でした。死顔が穏やかで綺麗で「うわっ、きれい」と思ったことを覚えています。 



クラブの仲間やクラスのお友だちで病院周辺はちょっと混雑してました。

その混雑の中、ようやく到着した寝台車に萩原さんは乗せられて、お父さんと、お母さんと、お姉さんに付き添われてお家に帰りはりました。

紀子はようやく土に還りました、というご両親からの納骨の報せの手紙が大学のクラブ宛に届いたのは一周忌を終えてから。


私はクラブを途中で辞めちゃってあのときの仲間との交流も途絶えている。

萩原さんのことを思い出すこともほとんどなかった。

でも昨日ふっと思い出してからずっと頭から去らない。


30年前のことです。
もしかしたら、萩原さんのご両親ももうお亡くなりになっているかもしれない。

こんな気まぐれな形で思い出されて萩原さんが喜んでくれているかどうかわからないけど、思い出した萩原さんを記憶の納戸の奥に簡単に片付けることにちょっとためらいがある。

なんでやろ。
年とったせいかな。

夕べは3時半まで起きていた。

まあ、珍しい。
ねぼすけタバスコは夜更かしが苦手。



11時20分ころテレビをつけたら、教育で舞台中継をしていた。
すぐに引き込まれて見続けてしまった。ラテ欄で確認したら平田オリザの「別れの唄」。
惜しいことをした。最初から見たかった。
フランス人がフランス語でしゃべっていて、日本人もフランス語でしゃべっている。字幕がでている。
背景は日本の和室。

通夜の場面らしい。

途中からだから何がなんだかわからずに見ている、が目が離せない。

日本人と結婚したフランス人女性の通夜らしい。
妻を亡くした夫とこの夫婦と同居していた夫の妹が日本人で、フランスから両親と弟が駆けつけてきている、らしい。

日本人の夫が葬儀屋と明日の葬儀の段取りを相談している。
男の妹もフランス語は流暢。
何を相談しているのかとフランス人の両親が妹に尋ね、妹は答える。
例えば、弔電はどうするかという相談で「チョウデンってなんだ?」と聞く。妹は説明する。
葬式の席順はどうするという相談で「フランスでは席順など決めない」とフランス人は言う。でも日本式に従おうと一応は思っている。でも理解できない風習もあり、いちいち不思議に思い、しかし、日本式を尊重しようとする、でも、やっぱり変だなと思うことが多い。

比較文化論の研究者みたいなフランス人女性がいて(彼女が死者とどのような関係であったかは最後まで私にはわからなかった。最初から見ていればわかっただろうけれど)ときどき文化の違いについての補足説明をしたり意見を短く述べたりする。

席順のことでややもめているとき、「タヒチでは旅人を送るときの村人の並び方はとても重要」とコメントする。

で、話はいろいろつまづきながらも進む。

フランス人女性の前夫が女性の死を知ってフランスから駆けつけてきたりもする。泣き叫んだりしてやや紛糾する。

日本人の葬儀社の担当者の立ち居振る舞いが日本人の類型としてややデフォルメされているが、日本人らしくてフランス人には奇異に見える。

つまり異文化のぶつかり合いを、通夜のシーンに凝縮して見せてくれているわけで、それ自体は特別目新しいものではない。

だけど私を引きつけて目を離さなくさせているのは、人の死という絶対的な現実の前で人間が垣間見せる感情の共通性に気持ちが揺すぶられるからのような気がする。
とはいえ、表現はフランス人と日本人はやはり違うのだ。

夫が席を外したとき、フランス人両親は妹に「彼は何故泣かないのか?」と聞く。娘と不仲だったのか、という不信感も生まれる。
日本人の男は滅多に人前では泣かないのだ、とか葬儀の場では身内のものは毅然とするのが日本の礼儀だとか妹は説明する。
でも両親はやはりさびしい気持ちがする。

衝撃的なセリフで度肝を抜くような仕掛けがある芝居ではない。
目新しさを提示しようと意気込んでいるものもない。

ひとりの女性の死を前にした家族のしずかな会話で綴られていく。

死に対する人間としての普遍性を語っているものでもない。

違和は理解し合えないままのようだ。

散歩にでていた死者の弟が戻ってきて、今夜は満月だと言う。
妹がそっと席を立つ。
「どこへ」と皆が思う。
「マリー(死んだ義姉)に満月を見せてあげたいから窓を開けにいく」というそのことばに違和を抱くものはいない。

そして静かに幕が下りる、というお芝居。

見終わったら12時20分で、そのあと作者の平田オリザの話しもおもしろくて見てしまった。

興奮が尾を引いて3時過ぎまでうろうろして、お布団に入ってもなかなか寝付けなかったというわけです。


あ、そうか!

夕べパリで白夜に遭遇する夢を見たんだけど、このお芝居の影響なのかな。
今はたと気が付いた。
ウハメラには、なんでパリの夢なんやっていちゃもんつけられたのだった。

自分でも唐突な夢のパリの出現やったが、この日記を書き終わって、いま、合点がいったのだった。

プロフィール
HN:
タバスコ
年齢:
69
性別:
女性
誕生日:
1956/05/26
職業:
兼業主婦
趣味:
広範
自己紹介:
おもろいおばはん
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