だけど人間は甘い
目が覚めたら8時で、うっわ、もう8時やんけ、と布団の中で暗澹となる。そのとき月曜日と思っている。次の瞬間日曜日であることに気がついて、暗澹が明朗な気分に変わった。ひゃっほー!月曜日と思って目が覚めたら日曜日やなんて、儲けたような気分やわ。
と目覚めから気分が大変よろしい一日が始まったのだった。
それでまだしばらくお布団の中でふにゃふにゃしてたらダンナが階下で呼ぶ声。むっちゃ気分わるぅ。
大変よろしい気分で目覚めるはずが一転にわかに掻き曇る気分。
夕べは忘年会で帰りが12時過ぎやったのに!もっと寝てたらええのに、いっそ永遠に寝てたらええのに!と呪うタバスコ。鬼嫁。
で、鬼嫁らしく髪の毛を逆立てて(寝癖)パジャマのままリビングへ下りてみると、ダンナはもう張り切ってテーブルに座って、血圧を測っていた。(毎朝の習慣)
そのままの格好で(パジャマ・髪の毛逆立ち)朝食の用意。
キャベツとウィンナーと玉子をフライパンに放り込んで、食パンをトースターに放り込んで、ポットのお湯を薬缶に放り込んでそれぞれに火をつけて、その間に簡単に顔を洗って、髪の毛はまだ逆立てたままにしてキッチンに戻って、フライパンの中のものをお皿に放り出して、トースターの中の食パンをそのヨコに放り出して、沸いたお湯でコーンスープを作ってダンナの前に放り出す。
自分のためにコーヒーを入れて、ダンナの横に座って、読売新聞の人生案内(人生相談みたいなの)を読みながらコーヒーを飲む。
ダンナさんの弟が異常な潔癖症で、という相談。回答者は精神科医の某さん。
私は、不倫や夫婦の不和についての相談に落合恵子さんが答えるというパターンの日がお好みなのだけれど。そうそういつもそういうわけには行かない。
ダンナが朝食を済ませた後でお出かけ準備に入っている。良い兆候。
で、「昼飯要りません」といい置いて出かける。良きこと良きこと。
しかし、「夕食は要ります」とのことなので、良きことも中くらいなり冬の朝。
目覚めてここまでにいくつかの気分の変遷があったが、ま、中くらいな良き気分に収まることとあいなった。
洗濯しているとドアチャイムが鳴る。(まだパジャマのまま髪の毛逆立ってる)
慌てて、髪の毛に寝癖直しスプレーを吹きかけ、パジャマの上からカーディガンを羽織って応対するも、宅配便の誤配。我が家の裏手にあるアリヤマ家への宅配物であった。
ま、ムカツクに値する来訪者ではあるが、中くらいな良き気分のタバスコはこんなことではむかつかない。こういうことでもなければ午前中いっぱい髪の毛を逆立てたままということもありえるので、とりあえずは髪の毛が寝そべってくれて良かった良かった。
髪の毛の逆立ったのおばはんの姿は見られたもんじゃないよっ。
ダンナにしか見せられないよっ。
ダンナには平気で見せられるよっ。
ダンナも平気で見るね。
ここで、この事実に思い至ったタバスコは、しばし夫婦の本質を垣間見たような思いにふける。
そっか、髪の毛逆立ちを見せても恥ずかしくないというこの弛緩しきった関係が夫婦を悲惨なものにし、また、快いものにもしてるわけか・・・
なるほどねー。
悲惨を嘆くかその反面にある安寧をむさぼるかってことなんか。
ま、当面むさぼっておくか。
10時、実家の兄に電話。つづいて高校クラスメートのW君に電話をする。
ちょっとね、知り合いの息子さんが京都勤務になり、知己のない土地での営業活動に苦戦しているらしいので、つてを探してるってんでそのご協力のため。こういう電話はかけにくいんだけどね、考えて実家とW君にかけてみることにしたってわけ。
W家に電話。
でてきたのはW君本人ということがすぐにわかった。
頼みごとの電話であることを忘れてつい笑いが漏れてしまう。コイツとは小学校から大学までいっしょなんやもん。
「私、わかる?」などとふざけたご挨拶になってしまった。
W君しばらくたじろぐ気配。
どっかのスナックのお姉ちゃんからの電話?どのお姉ちゃんやろと思い巡らしてるのか、といったたじろぎ。
日曜日の朝からそんな電話がかかったらそらたじろぐやろ。
「ごめんごめん、W君、私」とまだ名乗ってないって、はよちゃんと名乗れや。
「わ、わかるよ、A、A川さんやろ・・・」おお、正解じゃ。
タバスコはA川である(旧姓)。
しかし、W、何を怖がっているのだ。
コイツはなぜか私を怖がるのだ。
高校卒業後お互いの進路も知らないまま大学のキャンパスで偶然出会った時のWのびびり方を私は思い出す。
「な、なんで、こ、こんなとこにいてるねんな」という表情をあからさまに顔に出すW。(ことばとしても出したかもしれない)
しっつれいなやっちゃな、という表情で応酬するタバスコ(ことばでハッキリ言ったかもしれない)。
このときのWの絶望の表情を思い出すなァ。
えっと、ここまで書いて疲れたので、つづく。(つづきは明日ね)
と目覚めから気分が大変よろしい一日が始まったのだった。
それでまだしばらくお布団の中でふにゃふにゃしてたらダンナが階下で呼ぶ声。むっちゃ気分わるぅ。
大変よろしい気分で目覚めるはずが一転にわかに掻き曇る気分。
夕べは忘年会で帰りが12時過ぎやったのに!もっと寝てたらええのに、いっそ永遠に寝てたらええのに!と呪うタバスコ。鬼嫁。
で、鬼嫁らしく髪の毛を逆立てて(寝癖)パジャマのままリビングへ下りてみると、ダンナはもう張り切ってテーブルに座って、血圧を測っていた。(毎朝の習慣)
そのままの格好で(パジャマ・髪の毛逆立ち)朝食の用意。
キャベツとウィンナーと玉子をフライパンに放り込んで、食パンをトースターに放り込んで、ポットのお湯を薬缶に放り込んでそれぞれに火をつけて、その間に簡単に顔を洗って、髪の毛はまだ逆立てたままにしてキッチンに戻って、フライパンの中のものをお皿に放り出して、トースターの中の食パンをそのヨコに放り出して、沸いたお湯でコーンスープを作ってダンナの前に放り出す。
自分のためにコーヒーを入れて、ダンナの横に座って、読売新聞の人生案内(人生相談みたいなの)を読みながらコーヒーを飲む。
ダンナさんの弟が異常な潔癖症で、という相談。回答者は精神科医の某さん。
私は、不倫や夫婦の不和についての相談に落合恵子さんが答えるというパターンの日がお好みなのだけれど。そうそういつもそういうわけには行かない。
ダンナが朝食を済ませた後でお出かけ準備に入っている。良い兆候。
で、「昼飯要りません」といい置いて出かける。良きこと良きこと。
しかし、「夕食は要ります」とのことなので、良きことも中くらいなり冬の朝。
目覚めてここまでにいくつかの気分の変遷があったが、ま、中くらいな良き気分に収まることとあいなった。
洗濯しているとドアチャイムが鳴る。(まだパジャマのまま髪の毛逆立ってる)
慌てて、髪の毛に寝癖直しスプレーを吹きかけ、パジャマの上からカーディガンを羽織って応対するも、宅配便の誤配。我が家の裏手にあるアリヤマ家への宅配物であった。
ま、ムカツクに値する来訪者ではあるが、中くらいな良き気分のタバスコはこんなことではむかつかない。こういうことでもなければ午前中いっぱい髪の毛を逆立てたままということもありえるので、とりあえずは髪の毛が寝そべってくれて良かった良かった。
髪の毛の逆立ったのおばはんの姿は見られたもんじゃないよっ。
ダンナにしか見せられないよっ。
ダンナには平気で見せられるよっ。
ダンナも平気で見るね。
ここで、この事実に思い至ったタバスコは、しばし夫婦の本質を垣間見たような思いにふける。
そっか、髪の毛逆立ちを見せても恥ずかしくないというこの弛緩しきった関係が夫婦を悲惨なものにし、また、快いものにもしてるわけか・・・
なるほどねー。
悲惨を嘆くかその反面にある安寧をむさぼるかってことなんか。
ま、当面むさぼっておくか。
10時、実家の兄に電話。つづいて高校クラスメートのW君に電話をする。
ちょっとね、知り合いの息子さんが京都勤務になり、知己のない土地での営業活動に苦戦しているらしいので、つてを探してるってんでそのご協力のため。こういう電話はかけにくいんだけどね、考えて実家とW君にかけてみることにしたってわけ。
W家に電話。
でてきたのはW君本人ということがすぐにわかった。
頼みごとの電話であることを忘れてつい笑いが漏れてしまう。コイツとは小学校から大学までいっしょなんやもん。
「私、わかる?」などとふざけたご挨拶になってしまった。
W君しばらくたじろぐ気配。
どっかのスナックのお姉ちゃんからの電話?どのお姉ちゃんやろと思い巡らしてるのか、といったたじろぎ。
日曜日の朝からそんな電話がかかったらそらたじろぐやろ。
「ごめんごめん、W君、私」とまだ名乗ってないって、はよちゃんと名乗れや。
「わ、わかるよ、A、A川さんやろ・・・」おお、正解じゃ。
タバスコはA川である(旧姓)。
しかし、W、何を怖がっているのだ。
コイツはなぜか私を怖がるのだ。
高校卒業後お互いの進路も知らないまま大学のキャンパスで偶然出会った時のWのびびり方を私は思い出す。
「な、なんで、こ、こんなとこにいてるねんな」という表情をあからさまに顔に出すW。(ことばとしても出したかもしれない)
しっつれいなやっちゃな、という表情で応酬するタバスコ(ことばでハッキリ言ったかもしれない)。
このときのWの絶望の表情を思い出すなァ。
えっと、ここまで書いて疲れたので、つづく。(つづきは明日ね)
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まおちゃんが、英語の期末テストで96点を取った!
まおちゃんとは、今年の4月から教えている中学生。
こういう子だった。
↓(今年4月の日記から抜粋)
塾では、新学年の授業が3月からスタートしている。
昨年度から引き続き教えることになった子どももいるが、初めて受け持つ子もいる。
夕べの子どもたちは3人、全部初めて。
ゆりちゃん、まおちゃん、まいちゃん。
ゆりちゃんは中学3年生で後の2人は中学2年。この2人は学校のクラスも一緒の仲良しさんらしい。3人とも英語を教える。
まいちゃんはね、そこそこできる。
ゆりちゃんは、無口でおとなしい。
わかっているのかわかってないのかがよくわからない子。
1ヵ月経ってタバスコの見立てでは習熟率50パーセントと見た。
で、まおちゃん。
習熟率は20パーセント以下やな。
ところが、とても授業態度が熱心なのだ。
わからないことをどんどん積極的に聞いてくる。
っつうかほとんど全部わからない状態なんだけど。それでも、一年間英語を学んだはずのこの時期に、こんなこと聞いてかっこ悪いかなと多少のためらいが生じてもおかしくないような基本の基本でも、まったくためらいなく、「それ、なに?」と聞いてくる。
たとえば、「be動詞ってなに?」と聞いてくる。本質的なことを問うているのではない。
be動詞ということばがわからないらしい。
三人称単数の説明をしていたとき、「単数ってなに?」と聞かれたときには驚いた。
「あ、単数ってひとつのこと」と答えると、「へええっ」と驚いていた。
そして、今聞いたことを一生懸命覚えようとする。
「まおちゃんは、すごく熱心に先生の言うことを聞いてくれるね。学校の授業をこれくらい熱心に聞いてたら、こんな成績のはずないねんけどな。なにしてたん?」と聞いたら、
「えへへ、遊んでた」って悪びれもせず言う。隣のまいちゃんはちゃんと聞いていた、と言うので、「ほれ、聞いてた人と聞いてなかった人の差が、こういうこっちゃ」と私が言っても、「うへへ」と笑っている。
性格が素直って言うんだろうか。とても可愛い。
まおちゃんとは、今年の4月から教えている中学生。
こういう子だった。
↓(今年4月の日記から抜粋)
塾では、新学年の授業が3月からスタートしている。
昨年度から引き続き教えることになった子どももいるが、初めて受け持つ子もいる。
夕べの子どもたちは3人、全部初めて。
ゆりちゃん、まおちゃん、まいちゃん。
ゆりちゃんは中学3年生で後の2人は中学2年。この2人は学校のクラスも一緒の仲良しさんらしい。3人とも英語を教える。
まいちゃんはね、そこそこできる。
ゆりちゃんは、無口でおとなしい。
わかっているのかわかってないのかがよくわからない子。
1ヵ月経ってタバスコの見立てでは習熟率50パーセントと見た。
で、まおちゃん。
習熟率は20パーセント以下やな。
ところが、とても授業態度が熱心なのだ。
わからないことをどんどん積極的に聞いてくる。
っつうかほとんど全部わからない状態なんだけど。それでも、一年間英語を学んだはずのこの時期に、こんなこと聞いてかっこ悪いかなと多少のためらいが生じてもおかしくないような基本の基本でも、まったくためらいなく、「それ、なに?」と聞いてくる。
たとえば、「be動詞ってなに?」と聞いてくる。本質的なことを問うているのではない。
be動詞ということばがわからないらしい。
三人称単数の説明をしていたとき、「単数ってなに?」と聞かれたときには驚いた。
「あ、単数ってひとつのこと」と答えると、「へええっ」と驚いていた。
そして、今聞いたことを一生懸命覚えようとする。
「まおちゃんは、すごく熱心に先生の言うことを聞いてくれるね。学校の授業をこれくらい熱心に聞いてたら、こんな成績のはずないねんけどな。なにしてたん?」と聞いたら、
「えへへ、遊んでた」って悪びれもせず言う。隣のまいちゃんはちゃんと聞いていた、と言うので、「ほれ、聞いてた人と聞いてなかった人の差が、こういうこっちゃ」と私が言っても、「うへへ」と笑っている。
性格が素直って言うんだろうか。とても可愛い。
本日大野放し中。
本年最後の野放し中。
何をしているかはご想像にお任せするとして。
今年も野放し楽しみました。
あんな野放し、こんな野放し。
甘い野放し、ちょっぴりしょっぱい野放し。
熱い野放し、ひんやり野放し。
うららかな野放し、日陰の野放し。
弱腰野放し、喧嘩腰野放し。
今私の脳裏に2007年の数々の野放しの思い出が走馬灯のようにめぐっております・・・
野放しとともにタバスコは笑い、そしてちょっぴり泣いたこともあったわ。(なんでやねん!)
私の野放し、たくさんの思い出をありがとう。
今宵、2007年最後の野放しを心行くまで楽しもうじゃないか。
そして、また来年。
野ばなされることはすばらしき哉。
タバスコ
本年最後の野放し中。
何をしているかはご想像にお任せするとして。
今年も野放し楽しみました。
あんな野放し、こんな野放し。
甘い野放し、ちょっぴりしょっぱい野放し。
熱い野放し、ひんやり野放し。
うららかな野放し、日陰の野放し。
弱腰野放し、喧嘩腰野放し。
今私の脳裏に2007年の数々の野放しの思い出が走馬灯のようにめぐっております・・・
野放しとともにタバスコは笑い、そしてちょっぴり泣いたこともあったわ。(なんでやねん!)
私の野放し、たくさんの思い出をありがとう。
今宵、2007年最後の野放しを心行くまで楽しもうじゃないか。
そして、また来年。
野ばなされることはすばらしき哉。
タバスコ
昨日書いた日記では、秋の日におセンチになっているタバスコのことを書いてしまいましたが。
偶然耳にした姪の幼いころの声に泣けてきちゃったというものなんですけど、なんで泣けちゃうのか、ネット友だちのウハメラは「わからん」といい、うらないしさんは「わかる」とコメントしてくれていた。
時の流れに泣かされたのかも、とタバスコは書いている。
ものすごい速さで遠く流れ去ってしまう時間の無情に、ふと泣きたくなる。
秋の日の物寂しい雰囲気がそういう感受性を過敏にしてしまうってことなのかな。
ものすごい速さで遠く流れ去ってしまう時間は、「今」をどんどん「昔」にしてしまう。
昨日の日記のレスの展開中に「昔」がいろいろ出てきて、「昔」が私を揺すぶってくるのだ。
「もう頬づえはつかない」という映画をこごみん、うらないし、タバスコがそれぞれ思い出している。
この映画は、女子大生マリコの恋愛にまつわる物語(と、とりあえず無機的に説明してみるとそういうもの)。
マリコには忘れられない恋人ツネオがいるわけ。ええ年をした売れないルポライター。ええ加減な男。
でも、マリコはツネオに惚れていて忘れられない。
ふと知り合った橋本君が押しかけてきて同居を始める。
マリコは橋本君に体は開くが心は開いていない。
橋本君は、ええヤツなんだけどマリコの人生に取ったらただの脇役、ちょっとした通行人程度の扱いなわけ。
マリコはツネオに恋をして、20代の今を恋に翻弄されながら、恋をする若い女特有の自己愛を発散させながら、自己愛ゆえに悲恋もまたマリコのアイデンティティーを支えている風に見える。
というのは、51歳のタバスコが評するもので、あの時代にはマリコの中に自分を認めてマリコと同程度に自分の恋にうっとり泣いたりしていたものだ。
それは昔の話。
タバスコが23歳で恋をして、その恋する男に冷たくされていた昔の話。
23歳のタバスコは、そのちょっと冷たい男をちゃんとものにしちゃうんだよねー。
(それがいま、タバスコにボロカスに言われているダンナなんだから全くホントに哀しいお話だ。ま、それはちょっと置いといて)
テープの中でたどたどしい幼児語を発するまゆかも今は29歳になっている。
恋愛をして結婚した。
恋愛をして、その男を追っかけて宮古島まで行ってしまったのだ。
ところがどっこい、そんな思いで追っかけてまで行った宮古島でまゆかは思いもかけず心変わりをして別の男に惚れてしまう。
ちょっとしたすったもんだの挙句、まゆかはその別の男の方と一昨年結婚した。
たどたどしく「こいびとどうしに戻ってグラスかたづけたァ~♪」なんて歌っている昔のまゆかの声(もちろん処女)を聞いて、30年近い時間の流れの中で、私自身の昔が今の私を少し泣かせたような気もする。
惚れた男と結婚したってどうということはない、という意味ではなく。
いや少しそういう意味でもある。
20代の恋愛なんて本当にどうということもない、と思えなくもない。
あの時代、ただの通行人のように通り過ぎるだけだった私の橋本君もいた。
20代の狭量では見えなかったものがたくさんあったなあと思う。
そして、51才になって。
私がどんだけの生き方が出来ているのか、と思わなくもない。
今私が恋をしたとして、どうということもない恋ではない恋ができるのだろうか、とか。
そして、この「今」もどんどん流れ去って80歳の私が昔を振り返ったとき、今の私のことをどんな風に思い返すのかな、とか。
ま、いろいろそういうことを考えているうちにちょっと泣きたいような気がしてきたわけです。
偶然耳にした姪の幼いころの声に泣けてきちゃったというものなんですけど、なんで泣けちゃうのか、ネット友だちのウハメラは「わからん」といい、うらないしさんは「わかる」とコメントしてくれていた。
時の流れに泣かされたのかも、とタバスコは書いている。
ものすごい速さで遠く流れ去ってしまう時間の無情に、ふと泣きたくなる。
秋の日の物寂しい雰囲気がそういう感受性を過敏にしてしまうってことなのかな。
ものすごい速さで遠く流れ去ってしまう時間は、「今」をどんどん「昔」にしてしまう。
昨日の日記のレスの展開中に「昔」がいろいろ出てきて、「昔」が私を揺すぶってくるのだ。
「もう頬づえはつかない」という映画をこごみん、うらないし、タバスコがそれぞれ思い出している。
この映画は、女子大生マリコの恋愛にまつわる物語(と、とりあえず無機的に説明してみるとそういうもの)。
マリコには忘れられない恋人ツネオがいるわけ。ええ年をした売れないルポライター。ええ加減な男。
でも、マリコはツネオに惚れていて忘れられない。
ふと知り合った橋本君が押しかけてきて同居を始める。
マリコは橋本君に体は開くが心は開いていない。
橋本君は、ええヤツなんだけどマリコの人生に取ったらただの脇役、ちょっとした通行人程度の扱いなわけ。
マリコはツネオに恋をして、20代の今を恋に翻弄されながら、恋をする若い女特有の自己愛を発散させながら、自己愛ゆえに悲恋もまたマリコのアイデンティティーを支えている風に見える。
というのは、51歳のタバスコが評するもので、あの時代にはマリコの中に自分を認めてマリコと同程度に自分の恋にうっとり泣いたりしていたものだ。
それは昔の話。
タバスコが23歳で恋をして、その恋する男に冷たくされていた昔の話。
23歳のタバスコは、そのちょっと冷たい男をちゃんとものにしちゃうんだよねー。
(それがいま、タバスコにボロカスに言われているダンナなんだから全くホントに哀しいお話だ。ま、それはちょっと置いといて)
テープの中でたどたどしい幼児語を発するまゆかも今は29歳になっている。
恋愛をして結婚した。
恋愛をして、その男を追っかけて宮古島まで行ってしまったのだ。
ところがどっこい、そんな思いで追っかけてまで行った宮古島でまゆかは思いもかけず心変わりをして別の男に惚れてしまう。
ちょっとしたすったもんだの挙句、まゆかはその別の男の方と一昨年結婚した。
たどたどしく「こいびとどうしに戻ってグラスかたづけたァ~♪」なんて歌っている昔のまゆかの声(もちろん処女)を聞いて、30年近い時間の流れの中で、私自身の昔が今の私を少し泣かせたような気もする。
惚れた男と結婚したってどうということはない、という意味ではなく。
いや少しそういう意味でもある。
20代の恋愛なんて本当にどうということもない、と思えなくもない。
あの時代、ただの通行人のように通り過ぎるだけだった私の橋本君もいた。
20代の狭量では見えなかったものがたくさんあったなあと思う。
そして、51才になって。
私がどんだけの生き方が出来ているのか、と思わなくもない。
今私が恋をしたとして、どうということもない恋ではない恋ができるのだろうか、とか。
そして、この「今」もどんどん流れ去って80歳の私が昔を振り返ったとき、今の私のことをどんな風に思い返すのかな、とか。
ま、いろいろそういうことを考えているうちにちょっと泣きたいような気がしてきたわけです。
土日ちょっと出かけてて、帰りの車で古いテープを聴いていた。(私の車はCDじゃなくいまだにカセットテープ)
出かけしなに適当に放り込んだカセットテープがみんなやたらと古いものばかりだった。
私のきちゃない字で「キャロルキング・ミュージック」と書き込んだものの中には「キャロル・キング」のアルバム「ミュージック」が入っていた。珍しい!(古いテープだから、タイトルと全然違うものが入っていることのほうが多いんだな、これが)
次に聞いた「アン・マレー/辛い別れ★ビートルズ」と書いたテープには、アン・マレーも入っていたけど、裏面にはビートルズではなくロッド・スチュアートの「パンドラの箱」が入っていたときたもんだ。
ロッド・スチュアートにに先住者のビートルズが駆逐されたと見える。
調子よくロッド・スチュアートを聞きながら、暗鬱なノルウェイの森色をしたekワゴンを走らせる私。
突然ロッドが歌うのを止めた、と思ったら幼児のたどたどしいおしゃべりがはじまった。(ヒカリ?違った。姪のまゆかのこえ。)
私に何か歌えと言われて「なに歌おかな?」と言うてる。その声のかいらしいこと。
そして、歌い出したのが、「別れたひとにあーーったー、別れた渋谷であーーったー♪」
かわいい!
「こいびとどうしにもどってグラスかたづけたァ~♪」と歌ってる。
グラスかたづけたァ~って。アハハハハハ。かいらしいいいい。
まゆかのおねえちゃんのこずえも歌いだした。
「もう、ほおづえはつかーない、るるるるるるー♪」。
これは、桃井かおり主演映画「もう頬づえはつかない」の主題歌やん。
まあ、マイナーな古い歌!渋い選曲。
私が教えて歌わせているんだろう。
ほおづえが自分の名前の「こずえ」に聞こえると7歳のこずえが言うていたことがあるなあ、などということも思い出す。
1979年の映画。
ってことは、タバスコ23歳!
まゆかは3歳かな。
現在29歳で、結婚して宮古島に住んでいる。
あれ?計算が少し合わない?
でも、ま、そのあたりのことです。
なんかねー、涙出てきた。
23歳のタバスコの声も入っている。
「まゆちゃん、なんかうとて」とか後ろから言うてるところ。
またこの声もかいらしい。(声はあんまり老けない、今もかいらしい声といえば言える。顔の老け方の比ではない)
ひょっとして、これはタバスコ処女時代の声かも知れぬ。
ううむ。貴重な音源じゃないか。
帰り道、そんな奇妙なテープを繰り返し聞きながら妙に泣けてきちゃった秋の日のタバスコでした。
出かけしなに適当に放り込んだカセットテープがみんなやたらと古いものばかりだった。
私のきちゃない字で「キャロルキング・ミュージック」と書き込んだものの中には「キャロル・キング」のアルバム「ミュージック」が入っていた。珍しい!(古いテープだから、タイトルと全然違うものが入っていることのほうが多いんだな、これが)
次に聞いた「アン・マレー/辛い別れ★ビートルズ」と書いたテープには、アン・マレーも入っていたけど、裏面にはビートルズではなくロッド・スチュアートの「パンドラの箱」が入っていたときたもんだ。
ロッド・スチュアートにに先住者のビートルズが駆逐されたと見える。
調子よくロッド・スチュアートを聞きながら、暗鬱なノルウェイの森色をしたekワゴンを走らせる私。
突然ロッドが歌うのを止めた、と思ったら幼児のたどたどしいおしゃべりがはじまった。(ヒカリ?違った。姪のまゆかのこえ。)
私に何か歌えと言われて「なに歌おかな?」と言うてる。その声のかいらしいこと。
そして、歌い出したのが、「別れたひとにあーーったー、別れた渋谷であーーったー♪」
かわいい!
「こいびとどうしにもどってグラスかたづけたァ~♪」と歌ってる。
グラスかたづけたァ~って。アハハハハハ。かいらしいいいい。
まゆかのおねえちゃんのこずえも歌いだした。
「もう、ほおづえはつかーない、るるるるるるー♪」。
これは、桃井かおり主演映画「もう頬づえはつかない」の主題歌やん。
まあ、マイナーな古い歌!渋い選曲。
私が教えて歌わせているんだろう。
ほおづえが自分の名前の「こずえ」に聞こえると7歳のこずえが言うていたことがあるなあ、などということも思い出す。
1979年の映画。
ってことは、タバスコ23歳!
まゆかは3歳かな。
現在29歳で、結婚して宮古島に住んでいる。
あれ?計算が少し合わない?
でも、ま、そのあたりのことです。
なんかねー、涙出てきた。
23歳のタバスコの声も入っている。
「まゆちゃん、なんかうとて」とか後ろから言うてるところ。
またこの声もかいらしい。(声はあんまり老けない、今もかいらしい声といえば言える。顔の老け方の比ではない)
ひょっとして、これはタバスコ処女時代の声かも知れぬ。
ううむ。貴重な音源じゃないか。
帰り道、そんな奇妙なテープを繰り返し聞きながら妙に泣けてきちゃった秋の日のタバスコでした。