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私は旧姓をA川ってんだけど、ありがちなようで結構珍しい。京都市内にも2,3軒しかなかったような苗字で、この旧姓に愛着を持っている。
先日不意にA川君のことを思い出したわけです。

小学校4年の国語の教科書にA川って苗字の少年が出てくる話。
A川君は少年野球のチームに入っていて、ある試合で彼は監督からバントを命じられる。
でも、A川君は打ちたいと思う。彼は監督の指示を無視して強打して、二塁打を放つ。
彼は二塁上に立ち、得意な気持ちでグラウンドを眺める。けれどそのときベンチでは、監督が厳しい表情でそんなA川君を見ていた。次の試合でA川君はレギュラーをはずされる。

つまり、野球でのチームプレーの大切さとか、監督の指揮の尊重とかそういうことを監督はA川君に教えるためにってことなんだけど、私はちょっと違うんじゃないかって思ったわけ。
この監督は、A川君のこのときの打ちたい気持ちや打つ力があることを見抜けなかったわけで、それって指導者として監督も大いに反省すべき点があるのではないか、A川君だけを罰するのはなんか、この監督の狭量っていうか、管理主義のいやらしさって言うかそういうものを感じたわけです。もちろん、同じ苗字のA川少年に過剰に肩入れした私の偏狭な思い入れもあったかもしんないけど・・・

と、まあ、そんなことを思い出して、しょうもないことを覚えている自分の記憶力にしょうもない自負を感じたりもして、得意のあまり高校のクラス会BBSにそのことを書いたわけです。
「こんな話しあったよね。覚えてない?」てな調子で。

そしたらさー、クラスメートのホリベさんが、「それはA川君ではなく星野君だよ」って言うのね。

えええええええ!!!っ!

ホリベさんは、高校の2年時のクラスメートで、女子では一番勉強のできた女の子なんだ。
比してタバスコは、ま、いわゆる落ちこぼれさね。
クラス会BBSで、ホリベさんが言うこととあほタバスコの記憶力では勝負にならへんわけだす。

それでもタバスコは、釈然としない。
だって、A川君はA川君だったから肩入れしたと思ってたし。
星野が監督にいじめられようとそんなこたあ知ったこっちゃないわけだし。
なんなんだろう?この記憶の錯綜は?
ホリベさんだって時には勘違いだってあるかもしれないし・・・

と未練がましく諦めきれないタバスコに、本日死刑判決が下りた。

クラス会BBSの特別参加人、当時物理講師だったタナカ先生の書き込みによってその判決はなされた。


「星野君の二塁打」は教科書の中ではすごく印象に残っているもののひとつです。ただ私自身の教科書ではなく兄の教科書だったように記憶します(あいまい)。

 星野君は確かピッチャーだったと思います。8番じゃあなかったかな。力投していたのに味方が点を取ってくれなくて(記憶はあいまい)、ランナーが一塁に出た場面で何とか点が欲しくて、監督のバントのサインを無視してヒッティングに出て二塁打を打ったのです。

 星野君の戦術選択は正しかった。なぜなら次打者は9番打者だもんね。(あいまいな記憶を前提の勝手な推論)。監督の考えは違っていて、ピンチヒッターの大下君(あいまい)がバントで二塁に送った走者を帰すつもりだった。教科書では大下君は大きな外野フライを打って1点入れたことになっていたはず。

 試合後監督は「試合に勝てばいいというものではない。監督の指示に従わず、個人プレーすることは許されない。以後、星野君は出場させない。」と宣言するのでしたね(あいまい)。



とこのような証言なのだ。
あいまいあいまいと断りながらもこのように詳細な証言なのだ。嫌味を通り越して脱帽するしかねえじゃねえか。
雲上大学出身のタナカ先生の記憶力の前にあほタバがどんな抗いができるというのか。

だったら、私の記憶の中の二塁打を打って得意満面で、二塁上でグラウンドを見渡すA川君は誰やねん!


いつからキミは私の記憶の中に居座っているのだ。
どこから来たのだ?

誰かA川君の正体を知らないか?

誰か教えてくれー。



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もう20年位前になるんだろうか、NHKのテレビでこの言葉を知った。

その女性は、原爆で右腕を失くしている。
働いていた病院が倒壊して彼女は瓦礫の下敷きになる。
そこへ火の手が迫ってくる。
熱さをこらえて右の拳をぐっと握り締めたところで気を失い、気がついたときは、救助されて一命を取りとめていたけれど大やけどで右腕を失った、らしい。

そのとき(私がテレビで見たとき)彼女は、修学旅行で原爆記念館を訪れる学生たちに被爆体験を語って聞かせるというボランティアをしていて、その彼女の生活を紹介するというドキュメンタリー番組だった。

彼女の悲惨な被爆体験(同僚の無残な死に様とか)も忘れがたいものであったが、もっと衝撃的だったのは40年近くも彼女を苦しめ続けている幻肢痛というもののこと。

ないはずの右の拳をぐっと握り締めている感覚が、彼女を捕らえて離さない。40年間、彼女は右の拳をずっと握り締めたままなのだそうだ。

「この右手の拳を開きたい。一度でいいから力を抜いて、パッと開けたらどんなに気持ちがいいだろうと思う」

彼女の、今は柔和な表情で語られる幻肢痛のその痛みを想像すると気が遠くなりそうになった。40年間もその感覚に耐えているということに。そして、彼女の願いは、多分死ぬまで叶えられないのだろうということに。

幻肢痛というのは、その後に知ったことなのだけれど、事故や病気で切断されたはずの、今はないはずの自分の肉体が痛む感覚のことで、臨床的にもそういう感覚を訴える患者は少なくないのだそうだ。

錯覚と言ってしまえばそういうことなのかもしれないけれど、ないはずの肉体の一部の感覚がずっと残るというのは、人の感覚の複雑さでもあるのだろう。

もう、20年も前に見たテレビの中で出合った人だけれど、ときどき思い出すことがあった。
あの人は、今のこの瞬間にも「ああ、手を開きたい」と切望しながら、付け根のところからなくなっている自分の右腕の、その先の拳の幻に苦しみ続けているのだろうか、と。

もしかしたら、もう亡くなられているかもしれない。

天国では思う存分右手で「ぱー」をしてはるかもしれない。
もしそうなら、それは「良かったなあ」と私は思う。
ヒカリはお母さんが大好きらしい。
私もヒカリが好き。

誰かに好いてもらうのは、一番の幸福。
好きな人に好いてもらうのは、人生の最大の幸福ちゃうかしら。

私は、人生のたった一度の妊娠でヒカリを産んで本当に幸福なお母さんになれた。
ま、もちろんこの一行だけで言えない苦労話もヒカリと私にはあるんだけれど、世の中に幾万の母と娘がいて、お互いを「好き好き」と思い合える母娘ランキングがあったら、多分上位に入れるはずだ。

と、こういう楽天的なことを書くと、ヒカリは、だからと言ってそれが素晴らしいことかどうかはまた別の話やけどな、って言うだろうけど。

そうなんだ。
ヒカリはお母さんが好きだもんだから、お母さんと過ごす時間が一番楽しいとか言うて、外へ目を向けない傾向がある。
恋人欲しいと言いつつ、お母さんみたいな恋人が欲しいなんてわけのわからんことを言う。
お母さんみたいに、自分のことを理解し、愛し、許す人を彼女は欲しがってしまう。

そうは行かない。
ときには理解しあえない苦しさもまた恋の醍醐味かもしれない。

長谷川真理子さんの「オスとメス・性の不思議」にも書いてあったんだけれど、なぜ生物にはオスとメスが存在するのか。実は繁殖に必須なものではない。単体で子孫を増やすことのできる生物はいるのである。ではなぜオスとメスが必要だったかといえば、生物界の生存競争の過程の中で、病原菌などに抗していける強さを獲得するためには他者と交わり、交わった結果の新たな遺伝子が必要だったから、ということらしい。

ヒカリは思春期に心のバランスを崩して、他者との交わりをまったく遮断してしまった時期がある。
思春期に本来持っておくべき他者との葛藤を彼女は回避してしまっている。
心のバランスを崩した娘を私は懐に抱え込んで保護した。そのときは、そうするしかないと思ったし、あのときの自分のやり方が間違っていたとは思っていない。

生殖において、より強い子孫を残すための方法としてオスとメスが交わらねばならなかったように、やはり他者と交わることによって獲得すべき強さは、人が成長する上でも欠かせないものなのだろう。ヒカリにはこれが欠けている。

そもそもヒカリを見ていると、私という生物が単体で、純粋培養して自分のコピーを作るようにして増殖させたようなところがある。子育ての過程でも自分の懐に抱え込んで、他者の介入を阻止してしまったようなところがあるのだ。
我が家において父親の存在は、子育ての過程でまったく薄かった。それは夫の責任でもあり私の責任でもある。そして何よりもこのことが思春期にヒカリの情緒を不安定にしてしまった主たる原因ではないかと思っている。

ヒカリは、24歳で今やっと他者の海へ漕ぎ出そうとしている。
18歳で一人暮らしを始めたとはいえ、この6年間は、実質的には彼女はまだまだ他者を回避し続けていた。学生という身分に負ってそれが許されていた。そのためにこの母は必死で彼女の援助に当たっていたところもある。

入社した会社の都合で、配属先は名古屋になった。

神戸(大学は神戸だった)だったら、この母はまだまだ援助に赤目を吊って駆けつけているかもしれない。
高松(大学院は高松だった)だったら毎週実家に帰って来てたかもね。

ところが、名古屋。

そうそう簡単に、毎週出かけていける距離ではない。
ヒカリは否応なく他者と交わらねばならないところに身を置くことになったのだ。
いつもいつも心地よく自分を懐に抱え込んでくれるお母さんを常備できないところ。

これを天の配剤と思いたい。

否応なく他者と交わらねばならない場所で、どうか幸福な交わりを持って欲しい。

お母さんとは違う方法でヒカリを愛し、ヒカリを許す人が現れるでしょう。

その人を理解できないと苦しむことがあって良いと思うし。

誰かを好きになってその人に好いてもらえる幸福を、お母さんを相手ではなく手に入れて欲しい。

ま、お母さんのことは心配せんでもええから。
二番目に好きな人でええから。

そういえば、私の人生思い通りに行かないことだらけだったなあ。

けれど、思い通りにならないことに悲嘆はしなかったような気がする。

ドラマを見ていて、主人公の思い通りにことが運ぶなんてストーリーは見ていて面白くないよね。

つまり、私は私の人生ドラマの一視聴者として思い通りにならない私の人生を、「そんなに悪くないかもよ」と評しているのかもしれない。

こういうことは言えば言うほど負け惜しみみたいに聞こえちゃうかも知れないけれど、なぜか言いたくなってしまう。

私は本当に物欲がないんです。おいしいものを食べたいという欲求もほとんどない。旅行とか流行の服とかも望んでいない。
なんで、口に出してしまうかと言うと、世間の情報を目にすると、おいしいもの、旅行、ファッションに関心が高いらしいということを知るにつけ、本当にそうなのだろうか?と不思議に思ってしまうから。

いや違う。

私はなぜそういうものに対する欲求が希薄なんだろうとそのことについて考えてしまいたくなる。

人は何を求めて生きているのだろう、と青くさいことをいまだに考えてしまう。

おいしいものや、流行の服を手に入れる前にもっと強く激しく欲しいものがある、と私の心が言っているのかもしれない。

それに比べたら、美食もファッションも色あせてしまうような気がしているのかもしれない。

だったらそれは何か、と問われてもわからない。
わからなくてもいい、と思っているところはあります。

私は正解が欲しいわけじゃない。

何を楽しいと感じるか、というところの違いなのかもしれません。

たかだか70数年の人生で、おいしいものを食べ、きれいな景色を見て刹那の喜びの積み重ねで十分に豊かな気持ちは得られるのでしょう。
たかだか70年の人生にそれ以上の何を望めるほどの生き方が出来るのかと問えば答えに窮する。

けれど、私は死ぬまで手に入れられないかもしれない、あるかどうかもわからない「何か」を求め続けてしまうらしい。
どうもそういう人間らしい。

そんなものを求める私の人生が思い通りに行かないのは当たり前。

美食を求めない私には美食の機会はめぐってこないし、流行のファッションを来て映えるスタイルも手に入れられないのだ。当たり前の成り行きなのだ。

求めないからめぐってこない。

ある意味思い通りの人生なのかもしれない。
最近私は都はるみの全曲集というCDを買いました。

 この中に「浪花恋しぐれ」が収録されていまして、初めてフルコーラスで聞きました。 
セリフもあります。


 芸のためなら女房も泣かす 
それがどうした文句があるか 
雨の横丁 法善寺 
浪花しぐれか寄席囃子 
今日も呼んでる ど阿呆春団治 

(セリフ) 
そりゃ、わいはあほや。 酒もあおるし、女も泣かす 
せやかて、それもこれもみんな芸のためや。 
今に見てみい、わいは日本一になったるんや。 日本一やで。わかってるやろ、お浜。 なんや、そのしんきくさい顔は。
 酒や、酒や、酒買うてこい 


そばに私がついてなければ 
何もできないこの人やから
 泣きはしません つらくとも 
いつか中座の華になる 
惚れた男のでっかい夢がある 


(セリフ) 
好きおうていっしょになった仲やない。 
あんた遊びなはれ。お酒も飲みなはれ。 
あんたが日本一の落語家になるためやったら、 うちはどんな苦労にも耐えてみせます。   


凍りつくよな浮世の裏で 
耐えて花咲く夫婦花 
これがおいらの恋女房 
あなた私の生きがいと 
笑う二人に浪花の春がくる 






改めてこの歌詞を読むと、まさに共依存カップルです。 

共依存というのは、家族関係の中で生じる様々な問題のひとつの根っことしての概念です。 

家庭という小さな世界の中に複数の人間が顔つき合わせて生きているとお互いが邪魔しあったり助け合ったりするのはあたりまえのことです。
この邪魔し合い、助け合いが度を越すとなんだかいろいろな問題として表れてきてしまう。 

共依存というのは、助ける、助けられるの関係が一方通行で尚且つ度を越してしまうケースです。 
アルコール依存症の夫とそれを立ち直らせようとする健気な妻というのが共依存を説明する時の典型として良く使われます。妻は夫のアルコール漬けの生活を自分の力で改善しようと髪振り乱して夫をコントロールしようとします。
夫はもともと何かに依存してしまう性質傾向があるところに、このような妻からの庇護を受けて益々依存心を募らせる。
一方妻の方は表層の意識ではくたびれはて、早く夫の介護から解放されたいと思っているのですが、実は夫を強く庇護しているという一種の快さを内在させている場合がある。

つまり妻の方も夫を助けるという行為に依存している、という訳です。この夫婦は共依存の地獄にはまり込んでいることになります。
この地獄にはまり込むと、その状況からはなかなか抜け出せなくなります。お互いがなくてはならない存在として固定されてしまいますからね。
当然夫のアルコール依存症もまったく改善が見られなくなるのです。この症状こそがいまや二人の関係になくてはならないものになってしまっているからです。

 と、こんな説明をある精神科医の著書で読みました。

 今のところお浜さんは夫の夢を自分の夢として、男に尽くすだけの私の人生って何なの?という疑問は持っておられません。 多少はつらいなーと思ってらっしゃるようですが。 今後この傾向が深まり春団治のやりたい放題(酒もあおり放題、女房も泣かし放題)が進行していったとき、さすがのお浜さんも生き難くなるときが来るのではないでしょうか。 

そうです。共依存そのものが悪いことなのではなく、その関係性の中で生き難い、苦しいとどちらかが感じ始めたとき、この関係性はある種の心の病を生じさせるのではないかと思います。 治療の対象になります。 

そうなったときのお浜さんにはどのような助言が有効なのでしょうか
プロフィール
HN:
タバスコ
年齢:
67
性別:
女性
誕生日:
1956/05/26
職業:
兼業主婦
趣味:
広範
自己紹介:
おもろいおばはん
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