だけど人間は甘い
もう20年位前になるんだろうか、NHKのテレビでこの言葉を知った。
その女性は、原爆で右腕を失くしている。
働いていた病院が倒壊して彼女は瓦礫の下敷きになる。
そこへ火の手が迫ってくる。
熱さをこらえて右の拳をぐっと握り締めたところで気を失い、気がついたときは、救助されて一命を取りとめていたけれど大やけどで右腕を失った、らしい。
そのとき(私がテレビで見たとき)彼女は、修学旅行で原爆記念館を訪れる学生たちに被爆体験を語って聞かせるというボランティアをしていて、その彼女の生活を紹介するというドキュメンタリー番組だった。
彼女の悲惨な被爆体験(同僚の無残な死に様とか)も忘れがたいものであったが、もっと衝撃的だったのは40年近くも彼女を苦しめ続けている幻肢痛というもののこと。
ないはずの右の拳をぐっと握り締めている感覚が、彼女を捕らえて離さない。40年間、彼女は右の拳をずっと握り締めたままなのだそうだ。
「この右手の拳を開きたい。一度でいいから力を抜いて、パッと開けたらどんなに気持ちがいいだろうと思う」
彼女の、今は柔和な表情で語られる幻肢痛のその痛みを想像すると気が遠くなりそうになった。40年間もその感覚に耐えているということに。そして、彼女の願いは、多分死ぬまで叶えられないのだろうということに。
幻肢痛というのは、その後に知ったことなのだけれど、事故や病気で切断されたはずの、今はないはずの自分の肉体が痛む感覚のことで、臨床的にもそういう感覚を訴える患者は少なくないのだそうだ。
錯覚と言ってしまえばそういうことなのかもしれないけれど、ないはずの肉体の一部の感覚がずっと残るというのは、人の感覚の複雑さでもあるのだろう。
もう、20年も前に見たテレビの中で出合った人だけれど、ときどき思い出すことがあった。
あの人は、今のこの瞬間にも「ああ、手を開きたい」と切望しながら、付け根のところからなくなっている自分の右腕の、その先の拳の幻に苦しみ続けているのだろうか、と。
もしかしたら、もう亡くなられているかもしれない。
天国では思う存分右手で「ぱー」をしてはるかもしれない。
もしそうなら、それは「良かったなあ」と私は思う。
その女性は、原爆で右腕を失くしている。
働いていた病院が倒壊して彼女は瓦礫の下敷きになる。
そこへ火の手が迫ってくる。
熱さをこらえて右の拳をぐっと握り締めたところで気を失い、気がついたときは、救助されて一命を取りとめていたけれど大やけどで右腕を失った、らしい。
そのとき(私がテレビで見たとき)彼女は、修学旅行で原爆記念館を訪れる学生たちに被爆体験を語って聞かせるというボランティアをしていて、その彼女の生活を紹介するというドキュメンタリー番組だった。
彼女の悲惨な被爆体験(同僚の無残な死に様とか)も忘れがたいものであったが、もっと衝撃的だったのは40年近くも彼女を苦しめ続けている幻肢痛というもののこと。
ないはずの右の拳をぐっと握り締めている感覚が、彼女を捕らえて離さない。40年間、彼女は右の拳をずっと握り締めたままなのだそうだ。
「この右手の拳を開きたい。一度でいいから力を抜いて、パッと開けたらどんなに気持ちがいいだろうと思う」
彼女の、今は柔和な表情で語られる幻肢痛のその痛みを想像すると気が遠くなりそうになった。40年間もその感覚に耐えているということに。そして、彼女の願いは、多分死ぬまで叶えられないのだろうということに。
幻肢痛というのは、その後に知ったことなのだけれど、事故や病気で切断されたはずの、今はないはずの自分の肉体が痛む感覚のことで、臨床的にもそういう感覚を訴える患者は少なくないのだそうだ。
錯覚と言ってしまえばそういうことなのかもしれないけれど、ないはずの肉体の一部の感覚がずっと残るというのは、人の感覚の複雑さでもあるのだろう。
もう、20年も前に見たテレビの中で出合った人だけれど、ときどき思い出すことがあった。
あの人は、今のこの瞬間にも「ああ、手を開きたい」と切望しながら、付け根のところからなくなっている自分の右腕の、その先の拳の幻に苦しみ続けているのだろうか、と。
もしかしたら、もう亡くなられているかもしれない。
天国では思う存分右手で「ぱー」をしてはるかもしれない。
もしそうなら、それは「良かったなあ」と私は思う。
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