だけど人間は甘い
私のネットのお友達にらーめんちゃんの歌さんという冗長なお名前の男性がいる。この名前にはちゃんと由来があるらしいんだけど(聞かせてもらったけど)割愛します。
らーめんちゃんの歌さん(以下らーめんちゃんとします)は、ただいま子育て真っ最中の42歳のお父さんです。
ひろみんという愛妻、長男K平12歳、長女しおりん9歳、次女ミッシー5歳という一家のドタバタをネット上で公開しているらーめんちゃんの日記は、家族愛に満ち溢れた一種ファンタジーと読むファンもいたり、あまりのそのほのぼのさにへそ曲がりの幾人かは、「新種のホラーかいな」などと揶揄する人もいなくはないくらいの、それくらい奇跡的な愛に満ち溢れた家庭を築いておられる、そういうお父さんなわけです。
タバスコはらーめんちゃんを、平成の山上憶良、と密かに評している。(憶良ほどの貧乏ではないが、子育て貧乏ではあるらしい)
らーめんちゃんの、子どもたちに注ぐ愛にあふれた視線に読者は胸が熱くなる。
ひろみんに捧げる愛にはときどき「アホちゃうか」と多くの日本の妻族はひがみたくなる。
さて、らーめんちゃんの長女しおりんが先日9歳のお誕生日を迎えた。
いつもながらに、家族の誰かの誕生日には大騒ぎが繰り広げられるらーめんちゃんち。
しおりんの誕生日ドタバタもちゃんと日記に綴られていた。
それを読んで、タバスコは僭越ながら、お祝いの言葉を申し上げたく思い立ったわけです。
以下、らーめんちゃんに捧げる、「9歳のしおりんに贈ることば」でございます。
しおりん、お誕生日おめでとう。
9歳になったしおりんになにか「贈ることば」を、と思い今日一日過ごしました。
9歳と聞いて、まだ一桁やんけ、と思いました。
私の一桁時代を思い出しました。
9歳のときの思い出。
毎年夏には家族で日本海へ海水浴に行くのが我が家の恒例行事だった。
母の弟妹の家族たちも合流して大団体での海水浴。
福井の敦賀というところ。
私が9歳と言えば、昭和40年のことである。
敦賀の寂びれた漁村の民宿を一軒借り切っての逗留。
なんという名前の村だったのかは覚えていないけれど、子どもの目で見ても寂れた、貧しい漁村だった。
海岸と山に挟まれたその村には数年前までまだ電気が来てなかった、というようなそんな村。(現在そこに原子力発電所ができているのは皮肉な話である)
海岸で従姉妹たちと遊んでいるとその村の子どもたちもときどきやってきて一緒に遊んだ。
その中に九衛門(きゅうえもん)という名前の私と同学年の男の子がいた。
「九衛門!9歳で九衛門!ほんなら、10歳になったら十衛門か。」と9歳の私はそんなことにびっくりするアホな少女であった。
9歳の私は、実はとても微妙な年齢だったのだ。
というのは、8歳の私はとてもおとなしかった。
クラスにいたいじめっ子の平井君にいつも泣かされていたのだ。
7歳の私も6歳も5歳の私も非常におとなしい女の子だったらしい。
らしいというのは、自分で自分をおとなしいとかおてんばとかわからない年齢の自分のことは、周囲の大人が私を評した言葉の断片から推測するしかないから。
で、そのころ私は「どこにいるかわからない子」と言われていたのだ、だ、だ。
多分とっても無口でいたいけな幼女だったのだろう。
7歳のとき私は学校で、給食のときに配られるお茶をこぼして火傷を負う。
でも、おとなしいいたいけな7歳タバスコはそのことを先生に言えなくて、熱さと痛さにただ黙ったままで耐えるキャラクターだったらしい。
隣の男の子が見るに見かねて先生に言いに行ってくれて、やっと治療してもらえた。もうすっかり水ぶくれができていた。この一件から、7歳の私の「どこにいるかわからない子」振りが窺えよう。
5歳の私。
幼稚園の廊下ですれ違いざまにいたずらっ子に三つ編みの髪を引っ張られて泣き出す5歳タバスコ。一緒にいた女の子がその男の子を追いかけて捕まえて仕返しをしてくれた。今なら自分で追っかけていってボコボコにしていることだろうに。
このように、確かに一桁タバスコはおとなしかったわけだ。
ところが9歳はちょっと違う。
3年生の一学期の学級委員をしているのだ。
夏休み前のこと、担任の石川先生(30代もしくは40代前半の女教師)は生徒一人一人に夏休みの目標を与えてくれたんだけど、私の前の席の菱田さんには「勉強しないで遊びなさい」と言ったのだ。タバスコには「算数ドリルをしっかりするように」である。
菱田さんは確か二学期の学級委員だった。勉強の良くできる菱田さんを押しのけて一学期の学級委員をしているということは、勉強ではない部分で目立っていたってことである。
そして、二桁に突入したタバスコは明らかにおとなしくはなかった。
10歳になる直前、4年生の4月に転校したタバスコは、転校生であるにもかかわらず、4年生の三学期(5月生まれのタバスコはこのときには10歳になっている)に学級委員になっているのだ。しかも、勉強は大してできない転校生であるのに、である。
そして、11歳、12歳、地球は私を中心に回っている、と思い上がるタバスコ人生のハイライト期に突入するのである。
9歳に何があったのだろうか。
よくわからない。
何があったんや。
9歳とはこのように謎に満ちた時期なのである。
しおりんにとってのこの1年がどのようなものになるのか、らーめんちゃんとはまた違った興味でタバスコおばちゃんは、君の1年を注視しようと思う。
らーめんちゃん、定期的にしおりんの9歳レポートよろしくお願いいたします。
らーめんちゃんはもう既にお気づきかと思いますが、しおりんに贈ることばには全くなっていないのであった。
らーめんちゃんの歌さん(以下らーめんちゃんとします)は、ただいま子育て真っ最中の42歳のお父さんです。
ひろみんという愛妻、長男K平12歳、長女しおりん9歳、次女ミッシー5歳という一家のドタバタをネット上で公開しているらーめんちゃんの日記は、家族愛に満ち溢れた一種ファンタジーと読むファンもいたり、あまりのそのほのぼのさにへそ曲がりの幾人かは、「新種のホラーかいな」などと揶揄する人もいなくはないくらいの、それくらい奇跡的な愛に満ち溢れた家庭を築いておられる、そういうお父さんなわけです。
タバスコはらーめんちゃんを、平成の山上憶良、と密かに評している。(憶良ほどの貧乏ではないが、子育て貧乏ではあるらしい)
らーめんちゃんの、子どもたちに注ぐ愛にあふれた視線に読者は胸が熱くなる。
ひろみんに捧げる愛にはときどき「アホちゃうか」と多くの日本の妻族はひがみたくなる。
さて、らーめんちゃんの長女しおりんが先日9歳のお誕生日を迎えた。
いつもながらに、家族の誰かの誕生日には大騒ぎが繰り広げられるらーめんちゃんち。
しおりんの誕生日ドタバタもちゃんと日記に綴られていた。
それを読んで、タバスコは僭越ながら、お祝いの言葉を申し上げたく思い立ったわけです。
以下、らーめんちゃんに捧げる、「9歳のしおりんに贈ることば」でございます。
しおりん、お誕生日おめでとう。
9歳になったしおりんになにか「贈ることば」を、と思い今日一日過ごしました。
9歳と聞いて、まだ一桁やんけ、と思いました。
私の一桁時代を思い出しました。
9歳のときの思い出。
毎年夏には家族で日本海へ海水浴に行くのが我が家の恒例行事だった。
母の弟妹の家族たちも合流して大団体での海水浴。
福井の敦賀というところ。
私が9歳と言えば、昭和40年のことである。
敦賀の寂びれた漁村の民宿を一軒借り切っての逗留。
なんという名前の村だったのかは覚えていないけれど、子どもの目で見ても寂れた、貧しい漁村だった。
海岸と山に挟まれたその村には数年前までまだ電気が来てなかった、というようなそんな村。(現在そこに原子力発電所ができているのは皮肉な話である)
海岸で従姉妹たちと遊んでいるとその村の子どもたちもときどきやってきて一緒に遊んだ。
その中に九衛門(きゅうえもん)という名前の私と同学年の男の子がいた。
「九衛門!9歳で九衛門!ほんなら、10歳になったら十衛門か。」と9歳の私はそんなことにびっくりするアホな少女であった。
9歳の私は、実はとても微妙な年齢だったのだ。
というのは、8歳の私はとてもおとなしかった。
クラスにいたいじめっ子の平井君にいつも泣かされていたのだ。
7歳の私も6歳も5歳の私も非常におとなしい女の子だったらしい。
らしいというのは、自分で自分をおとなしいとかおてんばとかわからない年齢の自分のことは、周囲の大人が私を評した言葉の断片から推測するしかないから。
で、そのころ私は「どこにいるかわからない子」と言われていたのだ、だ、だ。
多分とっても無口でいたいけな幼女だったのだろう。
7歳のとき私は学校で、給食のときに配られるお茶をこぼして火傷を負う。
でも、おとなしいいたいけな7歳タバスコはそのことを先生に言えなくて、熱さと痛さにただ黙ったままで耐えるキャラクターだったらしい。
隣の男の子が見るに見かねて先生に言いに行ってくれて、やっと治療してもらえた。もうすっかり水ぶくれができていた。この一件から、7歳の私の「どこにいるかわからない子」振りが窺えよう。
5歳の私。
幼稚園の廊下ですれ違いざまにいたずらっ子に三つ編みの髪を引っ張られて泣き出す5歳タバスコ。一緒にいた女の子がその男の子を追いかけて捕まえて仕返しをしてくれた。今なら自分で追っかけていってボコボコにしていることだろうに。
このように、確かに一桁タバスコはおとなしかったわけだ。
ところが9歳はちょっと違う。
3年生の一学期の学級委員をしているのだ。
夏休み前のこと、担任の石川先生(30代もしくは40代前半の女教師)は生徒一人一人に夏休みの目標を与えてくれたんだけど、私の前の席の菱田さんには「勉強しないで遊びなさい」と言ったのだ。タバスコには「算数ドリルをしっかりするように」である。
菱田さんは確か二学期の学級委員だった。勉強の良くできる菱田さんを押しのけて一学期の学級委員をしているということは、勉強ではない部分で目立っていたってことである。
そして、二桁に突入したタバスコは明らかにおとなしくはなかった。
10歳になる直前、4年生の4月に転校したタバスコは、転校生であるにもかかわらず、4年生の三学期(5月生まれのタバスコはこのときには10歳になっている)に学級委員になっているのだ。しかも、勉強は大してできない転校生であるのに、である。
そして、11歳、12歳、地球は私を中心に回っている、と思い上がるタバスコ人生のハイライト期に突入するのである。
9歳に何があったのだろうか。
よくわからない。
何があったんや。
9歳とはこのように謎に満ちた時期なのである。
しおりんにとってのこの1年がどのようなものになるのか、らーめんちゃんとはまた違った興味でタバスコおばちゃんは、君の1年を注視しようと思う。
らーめんちゃん、定期的にしおりんの9歳レポートよろしくお願いいたします。
らーめんちゃんはもう既にお気づきかと思いますが、しおりんに贈ることばには全くなっていないのであった。
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