だけど人間は甘い
姑が手術をした。
高齢での手術ゆえ、本人も周囲も不安がいっぱい。
とはいえ、やっぱり私は他人なのだ。
ひどいって思われちゃうかもしれないけど、本当のところ心底心配などしていない。
冷酷な嫁と思われない程度に手術に臨む姑を気遣いはするけれど、結局誰かに(世間?)対するポーズという気配を自分では払拭しきれない。
最低限、心細げな姑がそれ以上不安にならないように、くらいな心遣いで、自分では十分なような気がしている。
手術前日の日曜日の朝になって、ダンナのお姉さん(私にとっては小姑)と姑の妹(叔母)が関西からやってくるという。
数日前には、手術後落ち着いてから見舞いに行くという連絡を受けていて、それで十分です、とこちらは答えていた。
「ええええ?!お義姉さんと叔母さんが来ゃはんの?今夜どうしはるんやろ?まさか、うちに泊まらはらへんやろな」
正直私の胸の中には「鬱陶しい事態やなァ」という思いでいっぱい。
それでなくとも連日往復3時間強の病院へ日参していて、煩雑事もたまってきているのだ。
ああ、鬱陶しいなあ、と思わずにいられない。
手術前日に来るなら、多分手術当日まで滞在するつもりなのだろうし。
高松にホテルでも予約してはるんやろか・・・
ここは、「うちに泊まってください」と言うべきなんだろうか・・・
とすると、一日に数回高松との往復もせざるをえないことになるのだろうか・・・
おいおい、勘弁してくれよ。
鬼嫁はどんどん冷酷な心持になっていく。
電話で叔母と連絡を取り合う。
「和子ちゃん(義姉)は、急に具合が悪くなって行けなくなってんけど、私一人でも行きます。姉さん(姑)の顔だけ見たら勝手に帰るから心配せんといて。駅から病院への行き方だけ教えて」と叔母は遠慮がちに言う。
人間というのは、押されると押し返したくなるが相手に引かれるとまた違う心持になる。
それに、ヒカリも急遽帰省してきていて、おばあちゃんのお見舞いに是非行きたいと言う。
「お母さんは連日病院に行ってるから今日は行きたくないなあ。ヒカリとお父さんと二人で行ってくれると有難いなあ」とは言ってみたものの、手術前日の姑の心細さに、ほんの少し想像をめぐらす余裕が生まれる。
よしっ、叔母さんを駅までお迎えに行って、みんなでおばあちゃんを励ましに行こう!ということになった。
そして、手術前日の日曜日の朝から家族三人で出かけ、高松駅で叔母を拾い、それからまだ30分の行程の病院へ。
車中で叔母は、「私は今日中に帰るから、夕方まで病院にいて、バスで駅まで帰るから大丈夫やで」という。(やれやれ良かった・・・)
ヒカリが、一生懸命おばあちゃんを励ましていた。
おばあちゃんも、ヒカリの見舞いにうれしそうだ。
そして、病院では私たちは1時間ほどいて、叔母を病院へ残して帰ることにした。
叔母には、駅で買った「穴子飯弁当」をお昼ご飯に食べてと渡し置いて。
帰路、和食屋さんで家族三人でお昼を食べる。
ヒカリが、「おばあちゃん、心細そうやった、小さならはった」と言う。
もちろん、私だって徹頭徹尾鬼嫁ではない。
余裕ができれば手術前日の人の心持を慮れないこともない。
でも、ヒカリのことだって心配だし。
それにもっと複雑な思いもある。
実の息子のダンナの貢献度と比して私の負担が大きすぎることに、言葉にできないもやもや感もあるわけ。
これ以上いい嫁ごっこなんてやってられるか、という思いも渦巻くのだ。
しかし、そういうもやもやした気持ちのぶつけどころは、もちろん姑ではない。
それは夫婦としての問題であり、手術を控えた年老いた姑に当り散らしてはならないってことはわかっているんだけどさ。
それ以外のいろいろな思いが私の胸を行ったりきたりするわけです。
例えば、「人は殺してはいけない」などとおおげさな正論をぶつ前に、目の前の年寄り一人にやさしくなれなくてなんとするのか、である。
年老いた実姉の手術を心配して前日に駆けつけてきた72歳の叔母に、本当の心遣いを示せなくて、何が世界平和を祈る資格があるだろう、である。
日曜日の夕方、そんな思いにゆれていたころ、義姉から電話が入る。
「明日(手術当日)は何が何でもそっちへ行くから。でも、私のことは心配せんといて。こっちの勝手な気持ちでいくんやから。」と。
ああ、もうしゃあないね。タバスコ、へんしーん、である。
ダンナに、「叔母さんに連絡とってみて」と言う。
叔母はあのあとひとりで大阪へ帰ったのだろうか。
私が心配する前に実の甥であるキミは何で心配で電話の一つもかけてみようと思わないんだ!とにわかに人情家に変身した鬼嫁タバスコはダンナを叱りつける。
叱り付けられて、叔母に携帯電話を入れるボケダンナ。
そのとき叔母は岡山まで戻っていた。
岡山まで戻ったところで四国に引き返そうとしているところだった、と言う。「どうしても後ろ髪が引かれて、明日の手術が終わるまでそっちにおりたいねんけど」と叔母は岡山でいこかもどろかしていたところだったらしい。
ダンナが、「おばちゃんが、こう言うてる。うちに泊まってもろてもええか?」
「うん。泊まってもろたらええわ」と答えるタバスコ。
叔母はそのまま岡山から引き返してくることに。
一晩我が家に泊まって翌日手術を終えた姉の無事な姿を見てから大阪へ帰りたいと。
身内の気持ちというものはそういうもんなんでしょう。
後ろ髪引かれながら叔母を岡山まで帰らせてしもたのは鬼嫁タバスコへの遠慮やったんでしょう。
お気の毒なことをしました。
もうこうなったらしゃあないね。
叔母さんもお義姉さんもどんと来い、やわ。
そして、月曜日、姑の手術が無事終わり、我が家で一泊した叔母と、近所に住む叔父を車に乗せ、朝早く奈良を出てきた義姉を高松駅で拾い病院へ向かいました。
私たちが病院に着いたとき、ちょうど姑が手術を終えたところでした。
一時間後麻酔からさめた姑は、娘や弟妹の笑顔に迎えられ安心したようでした。
鬼嫁はちょっと離れたところから見ていただけです。
ま、良かった良かった。
高齢での手術ゆえ、本人も周囲も不安がいっぱい。
とはいえ、やっぱり私は他人なのだ。
ひどいって思われちゃうかもしれないけど、本当のところ心底心配などしていない。
冷酷な嫁と思われない程度に手術に臨む姑を気遣いはするけれど、結局誰かに(世間?)対するポーズという気配を自分では払拭しきれない。
最低限、心細げな姑がそれ以上不安にならないように、くらいな心遣いで、自分では十分なような気がしている。
手術前日の日曜日の朝になって、ダンナのお姉さん(私にとっては小姑)と姑の妹(叔母)が関西からやってくるという。
数日前には、手術後落ち着いてから見舞いに行くという連絡を受けていて、それで十分です、とこちらは答えていた。
「ええええ?!お義姉さんと叔母さんが来ゃはんの?今夜どうしはるんやろ?まさか、うちに泊まらはらへんやろな」
正直私の胸の中には「鬱陶しい事態やなァ」という思いでいっぱい。
それでなくとも連日往復3時間強の病院へ日参していて、煩雑事もたまってきているのだ。
ああ、鬱陶しいなあ、と思わずにいられない。
手術前日に来るなら、多分手術当日まで滞在するつもりなのだろうし。
高松にホテルでも予約してはるんやろか・・・
ここは、「うちに泊まってください」と言うべきなんだろうか・・・
とすると、一日に数回高松との往復もせざるをえないことになるのだろうか・・・
おいおい、勘弁してくれよ。
鬼嫁はどんどん冷酷な心持になっていく。
電話で叔母と連絡を取り合う。
「和子ちゃん(義姉)は、急に具合が悪くなって行けなくなってんけど、私一人でも行きます。姉さん(姑)の顔だけ見たら勝手に帰るから心配せんといて。駅から病院への行き方だけ教えて」と叔母は遠慮がちに言う。
人間というのは、押されると押し返したくなるが相手に引かれるとまた違う心持になる。
それに、ヒカリも急遽帰省してきていて、おばあちゃんのお見舞いに是非行きたいと言う。
「お母さんは連日病院に行ってるから今日は行きたくないなあ。ヒカリとお父さんと二人で行ってくれると有難いなあ」とは言ってみたものの、手術前日の姑の心細さに、ほんの少し想像をめぐらす余裕が生まれる。
よしっ、叔母さんを駅までお迎えに行って、みんなでおばあちゃんを励ましに行こう!ということになった。
そして、手術前日の日曜日の朝から家族三人で出かけ、高松駅で叔母を拾い、それからまだ30分の行程の病院へ。
車中で叔母は、「私は今日中に帰るから、夕方まで病院にいて、バスで駅まで帰るから大丈夫やで」という。(やれやれ良かった・・・)
ヒカリが、一生懸命おばあちゃんを励ましていた。
おばあちゃんも、ヒカリの見舞いにうれしそうだ。
そして、病院では私たちは1時間ほどいて、叔母を病院へ残して帰ることにした。
叔母には、駅で買った「穴子飯弁当」をお昼ご飯に食べてと渡し置いて。
帰路、和食屋さんで家族三人でお昼を食べる。
ヒカリが、「おばあちゃん、心細そうやった、小さならはった」と言う。
もちろん、私だって徹頭徹尾鬼嫁ではない。
余裕ができれば手術前日の人の心持を慮れないこともない。
でも、ヒカリのことだって心配だし。
それにもっと複雑な思いもある。
実の息子のダンナの貢献度と比して私の負担が大きすぎることに、言葉にできないもやもや感もあるわけ。
これ以上いい嫁ごっこなんてやってられるか、という思いも渦巻くのだ。
しかし、そういうもやもやした気持ちのぶつけどころは、もちろん姑ではない。
それは夫婦としての問題であり、手術を控えた年老いた姑に当り散らしてはならないってことはわかっているんだけどさ。
それ以外のいろいろな思いが私の胸を行ったりきたりするわけです。
例えば、「人は殺してはいけない」などとおおげさな正論をぶつ前に、目の前の年寄り一人にやさしくなれなくてなんとするのか、である。
年老いた実姉の手術を心配して前日に駆けつけてきた72歳の叔母に、本当の心遣いを示せなくて、何が世界平和を祈る資格があるだろう、である。
日曜日の夕方、そんな思いにゆれていたころ、義姉から電話が入る。
「明日(手術当日)は何が何でもそっちへ行くから。でも、私のことは心配せんといて。こっちの勝手な気持ちでいくんやから。」と。
ああ、もうしゃあないね。タバスコ、へんしーん、である。
ダンナに、「叔母さんに連絡とってみて」と言う。
叔母はあのあとひとりで大阪へ帰ったのだろうか。
私が心配する前に実の甥であるキミは何で心配で電話の一つもかけてみようと思わないんだ!とにわかに人情家に変身した鬼嫁タバスコはダンナを叱りつける。
叱り付けられて、叔母に携帯電話を入れるボケダンナ。
そのとき叔母は岡山まで戻っていた。
岡山まで戻ったところで四国に引き返そうとしているところだった、と言う。「どうしても後ろ髪が引かれて、明日の手術が終わるまでそっちにおりたいねんけど」と叔母は岡山でいこかもどろかしていたところだったらしい。
ダンナが、「おばちゃんが、こう言うてる。うちに泊まってもろてもええか?」
「うん。泊まってもろたらええわ」と答えるタバスコ。
叔母はそのまま岡山から引き返してくることに。
一晩我が家に泊まって翌日手術を終えた姉の無事な姿を見てから大阪へ帰りたいと。
身内の気持ちというものはそういうもんなんでしょう。
後ろ髪引かれながら叔母を岡山まで帰らせてしもたのは鬼嫁タバスコへの遠慮やったんでしょう。
お気の毒なことをしました。
もうこうなったらしゃあないね。
叔母さんもお義姉さんもどんと来い、やわ。
そして、月曜日、姑の手術が無事終わり、我が家で一泊した叔母と、近所に住む叔父を車に乗せ、朝早く奈良を出てきた義姉を高松駅で拾い病院へ向かいました。
私たちが病院に着いたとき、ちょうど姑が手術を終えたところでした。
一時間後麻酔からさめた姑は、娘や弟妹の笑顔に迎えられ安心したようでした。
鬼嫁はちょっと離れたところから見ていただけです。
ま、良かった良かった。
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