だけど人間は甘い
あるところに書いてあったヒカリの読書感想文(?)
↓
穂村弘著のエッセィ『本当はちがうんだ日記』を読んだとき、この人は私に近い人だと思った。
確かに近いところはあると思う。
しかし、穂村さんは"恋愛感受性"の高い人のようだ。これは「積極的」「消極的」に分類されるものではない。「モテる」「モテない」でもない。「ホレっぽい」でもない。
私は恋愛に対して憧れや羨望、理想を持ってはいるが、具体的な経験はない。片想いをしたことはあるが、それは、誰かを好きでいることが自分にとって必要だったからではないかと思う。
自分で自分を好きになれないから、誰かが私を好きになってくれることによって補いたい。どうせならその"誰か"というのは自分の好きな人であってほしい、とか。まぁこれはこじつけかな。
幼いながら、好きだったんだよと認めればいい話なのかも。
閑話休題。
穂村さんは恋愛に対して憧れや羨望、理想を持ち、ある程度の経験を持っているようだ。片想いも両想いも。
「誰のことも、一番好きな相手のことも、自分自身に較べれば十分の一ほども好きじゃないよね、あなたは」
と穂村さんは言われたことがあるそうだ(何年もつきあっていた相手に)。それについては「恋と自己愛」についての項目に詳しく書いてある。ご参照いただきたい。
このように、物事に対して分析的な点も私に似ていると思うのだが、どうだろう?
どうして穂村さんには彼女ができて、結婚できて、
私にはいまだかつて相思相愛になった相手がいないのだろう?
その答えではないが、「男子力と女子力」から。
「高校生くらいまでは、男子力の不足は致命的だった。(略)しかし、大人になるにつれてそのプレッシャーは徐々に軽減されてきたように思う。
その理由のひとつは「種目」の多様化だ。(略)
「種目」の多様化は価値観の多様化に繋がる。何らかの「種目」でポイントをあげられれば、少なくとも価値観を共有する異性へのアピールになる筈だ。男子力がなくても、将棋がめちゃくちゃ強ければ、将棋好きの女子には(もしかすると囲碁好きの女子にも)関心をもって貰えるのだ。」
※ちなみに穂村さんのエッセィでおもしろいのは"(もしかすると囲碁好きの女子にも)"といった部分であることにも言及しておきたい。
しっかーし、ここで本当に言いたいのはその次に書かれていること。
「女子にとっては女子力の圏外にある長所の多くが恋愛の入口にならないのだ。」
というところ!
ここでは
「お笑いの女子芸人が「男の芸人はあたしと同レベルのルックスでもみんなモテてるのに、あたしは全く男に相手にされない」と怒っていた。」
という例を挙げている。
「女子にとっては…」の続きにはこうも書かれている。
「むしろ出口になることが珍しくない。自分の理解できない「種目」で才能を発揮し始めた奥さんや彼女に旦那や彼氏が冷たくなる。というパターンだ。」
まぁ、これについては彼氏ができた後に考えましょうか?
「極端な云い方をすれば、女子には「女子」という種目しかないのかもしれない。」
きょ、極論にもっていかないでーーー。
それはさておき、このタイトルがすばらしいね。
もしもし、運命の人ですか。
はい、あなたの運命の人です。
↑
これを読んで唸った。
わが子ながら感心した!
ヒカリのレビューなんだけど、今日初めて読んだ。
パソコンをする私の隣に来て「読め読め」とうるさいから。
> 「女子にとっては女子力の圏外にある長所の多くが恋愛の入口にならないのだ。」
ここを引用しているところなんざ、さすがにわが子だと思った。
若かりしタバスコも同じことを考えていたのだ。
女子力の圏外にある長所の多くが恋愛の入り口にならないから10代のタバスコはもてなかったのだ!。聡明なタバスコは10代にしてそのことをちゃんと認識していたのだ!
だから、おもろい女として生きることに活路を見出したのだった!
とそのことを今ヒカリに告白したのでした。
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穂村弘著のエッセィ『本当はちがうんだ日記』を読んだとき、この人は私に近い人だと思った。
確かに近いところはあると思う。
しかし、穂村さんは"恋愛感受性"の高い人のようだ。これは「積極的」「消極的」に分類されるものではない。「モテる」「モテない」でもない。「ホレっぽい」でもない。
私は恋愛に対して憧れや羨望、理想を持ってはいるが、具体的な経験はない。片想いをしたことはあるが、それは、誰かを好きでいることが自分にとって必要だったからではないかと思う。
自分で自分を好きになれないから、誰かが私を好きになってくれることによって補いたい。どうせならその"誰か"というのは自分の好きな人であってほしい、とか。まぁこれはこじつけかな。
幼いながら、好きだったんだよと認めればいい話なのかも。
閑話休題。
穂村さんは恋愛に対して憧れや羨望、理想を持ち、ある程度の経験を持っているようだ。片想いも両想いも。
「誰のことも、一番好きな相手のことも、自分自身に較べれば十分の一ほども好きじゃないよね、あなたは」
と穂村さんは言われたことがあるそうだ(何年もつきあっていた相手に)。それについては「恋と自己愛」についての項目に詳しく書いてある。ご参照いただきたい。
このように、物事に対して分析的な点も私に似ていると思うのだが、どうだろう?
どうして穂村さんには彼女ができて、結婚できて、
私にはいまだかつて相思相愛になった相手がいないのだろう?
その答えではないが、「男子力と女子力」から。
「高校生くらいまでは、男子力の不足は致命的だった。(略)しかし、大人になるにつれてそのプレッシャーは徐々に軽減されてきたように思う。
その理由のひとつは「種目」の多様化だ。(略)
「種目」の多様化は価値観の多様化に繋がる。何らかの「種目」でポイントをあげられれば、少なくとも価値観を共有する異性へのアピールになる筈だ。男子力がなくても、将棋がめちゃくちゃ強ければ、将棋好きの女子には(もしかすると囲碁好きの女子にも)関心をもって貰えるのだ。」
※ちなみに穂村さんのエッセィでおもしろいのは"(もしかすると囲碁好きの女子にも)"といった部分であることにも言及しておきたい。
しっかーし、ここで本当に言いたいのはその次に書かれていること。
「女子にとっては女子力の圏外にある長所の多くが恋愛の入口にならないのだ。」
というところ!
ここでは
「お笑いの女子芸人が「男の芸人はあたしと同レベルのルックスでもみんなモテてるのに、あたしは全く男に相手にされない」と怒っていた。」
という例を挙げている。
「女子にとっては…」の続きにはこうも書かれている。
「むしろ出口になることが珍しくない。自分の理解できない「種目」で才能を発揮し始めた奥さんや彼女に旦那や彼氏が冷たくなる。というパターンだ。」
まぁ、これについては彼氏ができた後に考えましょうか?
「極端な云い方をすれば、女子には「女子」という種目しかないのかもしれない。」
きょ、極論にもっていかないでーーー。
それはさておき、このタイトルがすばらしいね。
もしもし、運命の人ですか。
はい、あなたの運命の人です。
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これを読んで唸った。
わが子ながら感心した!
ヒカリのレビューなんだけど、今日初めて読んだ。
パソコンをする私の隣に来て「読め読め」とうるさいから。
> 「女子にとっては女子力の圏外にある長所の多くが恋愛の入口にならないのだ。」
ここを引用しているところなんざ、さすがにわが子だと思った。
若かりしタバスコも同じことを考えていたのだ。
女子力の圏外にある長所の多くが恋愛の入り口にならないから10代のタバスコはもてなかったのだ!。聡明なタバスコは10代にしてそのことをちゃんと認識していたのだ!
だから、おもろい女として生きることに活路を見出したのだった!
とそのことを今ヒカリに告白したのでした。
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